同窓会 概要

1.同窓会名称 聖学院中学校・高等学校同窓会
2.同窓会設立年 1950(昭和25)年3月末
母校校長の管嘗下にあった同窓会組織を卒業生による同窓会として独立
3.同窓会会員数 1万6千名超 (1~110回生まで)
4.役員一覧
111期(2017年度)役員
役職名 氏名 卒業回
会 長 金 子 健太郎 73
副 会 長 佐 藤 秀 一 73
副 会 長 玉 村   貴 75
専務理事 関   紀 武 78
常務理事 清 水 広 幸 72
常務理事 高 木 三千夫 75
常務理事 藤 巻 典 敏 76
常務理事 上 野 明 彦 (新任) 83
常務理事 大 島 貴 裕 86
常務理事 富 村 英 朗 91
常務理事 宮     聡 92
会計監事 梅 田 俊 明 75
会計監事 岡 村 直 樹 80
5.同窓会活動内容 1. 定時総会・懇親会の開催 6月第4土曜日

2. 同窓会だよりの発行   6月1日発行

3. 親睦事業の開催
( 1 ) 親睦ゴルフ会 4月第2木曜日
( 2 ) 親睦旅行会 10月第3日曜日・月曜日
( 3 ) ホームカミングデー懇親会 11月 記念祭2日目
( 4 ) 理事・幹事懇親会 12月第2土曜日

4. 新入会員歓迎式 2月第4水曜日

5. 新入会員オリエンテーション  3月第2土曜日

6. 母校への支援・協力
( 1 ) 奨学金基金の拠出
( 2 ) クラブ活動への援助
( 3 ) クロスカントリー大会 優勝者に同窓会杯を授与
( 4 ) 英語暗誦大会 最優秀者に同窓会杯を授与
( 5 ) 中学理科課題研究発表会 優秀者に図書券を授与
( 6 ) 母校支援基金積立 グッズ販売・募金活動
7. 支援団体への協力
( 1 ) 聖学院さくらの会
( 2 ) 聖学院メサイア合唱団
6.問い合わせ先 電 話:03-3917-3154
F A X:03-3917-3158
住 所:114-8502 東京都北区中里3-12-1

事業局営業時間: 火・金曜日(9~16時)
7.特定商取引法に基づく表記
特定商取引法に基づく表記
代表者 同窓会 会長 金子健太郎
運営団体 聖学院中学校・高等学校同窓会
所在地 〒114-8502 東京都北区中里3-12-1
電話番号 03-3917-3154
電話受付時間 火・金曜日(9~16時)
公開メールアドレス 問合せフォームより
サイトURL http://www.seig-boys.net/
販売価格 会則・規定をご参照ください
引渡し時期 所定の手続きの終了後、直ちにご利用いただけます
お支払方法 コンビニおよび郵便局での収納代行
商品代金以外の必要料金 特になし
返品・交換・キャンセル等 同窓会費の為、返金はいたしかねます



■ 同窓会のあゆみ

1. 聖学院中学校卒業生の会 「椎陵会(すいりょうかい)」の設立

 1925(大正14)年、母校創立20周年記念祭開催の折、卒業生有志から「聖学院中学校卒業生の会」設立の要請が起こり、これが具体化されて、翌年の1926(大正15)年4月25日、第1回から第17回までの卒業生52名が参加し創立会が開催された。 議長に折本勝治氏(4回)を選出、次いで議長から委員長、委員、会計係等の指名があり、本人の承諾を得て役員が決定し、聖学院中学校卒業生の会は「椎陵会」と命名され設立された。
 1927(昭和2)年11月3日、前年は大正天皇のご逝去により、見合わされていた定期総会が開催され、常任委員の翌年4月までの留任、会費の額50銭、さらに母校拡張のため実行委員を選出し、極力これを援助することを協議した。 各回卒業生から世話人2、3名を選び自回の代表者を定め、その代表者が全卒業生の代表委員となり、母校創立者であるガイ博士と母校改築ならびに拡張の実行方法を合議することとした。このように「椎陵会」の設立によって全卒業生の縦の糸は繋がったのであるが、残念ながらその後の「椎陵会」の目覚ましい記録はない。

2. 校友会同窓部誕生

 1931(昭和6)年11月3日、校友会総会が開催された。同窓部設立の規則改正案が上程され、満場一致で校友会同窓部を議決、校友会組織の中に初めて同窓部が生まれた。また、翌年発行された椎陵第15号から紙面に「同窓部報」が別に設けられ、同窓生の動向や卒業生の論文、文芸作品等の記事が掲載されている。

3. 校友会からの独立

 1936(昭和11)年11月3日、母校創立30周年の祝賀の式典に来校した卒業生は、明治、大正、昭和と学んだ時代は異にするものの、母校発展を祈る心は一つであり、百余名の参加によって卒業生大会を開催した。
 平井庸吉校長の挨拶のあと、第1回卒業生石川清氏を議長に推し議事に入り、高橋真三次氏(4回)の校友会から同窓部を分離・独立する会則の説明があり、原案を可決、「聖学院中学校同窓会」を設立した。同窓会役員は、今回に限り会長(校長)の指名により後日決定すること、また、母校校舎新築と併行して建設されるべき体育館ならびに講堂新築に関し、同窓会は一致協力して助成することを可決した。

4. 戦後最初の同窓会総会

 学校日誌の記すところによると、その後同窓会総会は毎年11月3日に開催されている。
 1940 (昭和15)年 3月、平井庸吉先生の校長辞任により同窓会長は富永正新校長に引き継がれた。
 1949 (昭和24)年11月3日、戦中および終戦後の混乱期は途絶えていた総会が、折本勝治氏、太田六郎先生を中心に準備が進められ、戦後初めての同窓会総会が開催された。

5. 初代会長 石川 清氏( 1回生) 〈学校長の管掌下から同窓会独立〉

 1950(昭和25)年3月、従来中学校長の管掌下にあった同窓会組織は、富永正校長の辞任を以って終り、へンドリックス校長の就任を契機とし、また、学制の改革時を機会に母校の外郭団体として卒業生による同窓会が独立した。初代会長石川清氏(1回)、副会長高橋真三次氏(4回)、書記 石渡常夫氏(33回)、会計 山田恵一氏(26回)が選ばれ、「聖学院中学校同窓会」が発足し、今日に受け継がれている。
 石川初代会長は、母校の発展に強固な基礎を築かれ、多大な業績を残された。その風貌は奇しくも石川角次郎初代校長によく似ておられ、温顔、慈父の如き感があった。1971(昭和46)年11月、 高齢を理由に21年にわたり務められた会長職を譲られた。

6. 同窓会だより創刊号の発行

 1958(昭和33)年11月3日、海野次郎校長の発案によって 『同窓会だより』 が同窓会から創刊され、全同窓生に郵送された。終戦の混乱から10余年を経て社会情勢の動きはようやく軌道に乗り、 人の心にも次第に平和の明るさが感じられるようになった。そこで、全国各地で活躍中の同窓生の消息、クラス会の模様、母校の現況などを載せ、同窓会のますますの結束と会員相互の心の交流を深めるより所になればという願いを込めて発送された。記録によると創刊号は3,000部を印刷して2,590通を郵送したが、戦後再出発して日も浅い同窓会はまだ経済的自立の弱い時代であったので、 郵送料(1通8円)の半額は学校側の援助によるものであった。以来毎年発行を重ね、2011年は第56号を数え紙面も年とともに拡充されている。

7. 第二代会長 長谷川 仁氏( 7回生)

 1971(昭和46)年11月、石川初代会長を受け継いだ長谷川会長時代となり、約5年間の活躍が続くのであるが、同氏は日動画廊の経営者として、また、世界の美術商として海外に雄飛された。 同窓会長としては組織の拡大強化が持論で、副会長は何人でもよい、大きく増やせという積極論者であった。1976(昭和51)年10月27日、健康そのものと過信していた長谷川会長が不幸にも病魔の侵すところとなり急逝された。

8. 第三代会長 山下 房蔵氏( 8回生)

 1976(昭和51)年10月、長谷川会長の後任として、副会長山下房蔵氏が推挙され、第三代会長に就任した。山下会長は当時、病に耐えて杖をつきながらも幾度か会合に出席される責任感の強い方であったが、同年12月24日、長谷川氏の後を追うように逝去された。 同氏は電機業界の雄として山下商工を経営され、母校愛の強さはその御子息にもおよび、自らは 「聖学院スピリット」をモットーとして活躍された。この年は同窓会にとって二人の敬愛する同窓会長を喪った悲哀の年であった。

9. 第四代会長 井上 保氏( 16回生)

 1977(昭和52)年1月、山下会長の後任として、副会長井上保氏が推されて第四代会長に就任した。井上会長は過去の延長線上にあった同窓会運営に活を入れ、新風を吹き込んだ。 また、 母校創立80周年記念事業資金募集委員長として業績を残し、母校発展に寄与された。 しかし、かねてから健康を理由に辞意を表明されており、1982(昭和58)年度で会長を辞された。

10. 第五代会長 永井 尚一氏( 22回生)

 1982(昭和58)年11月、井上会長の後任として、副会長であった永井尚一氏が第五代会長に就任した。永井会長時代は同窓会の苦難のときであった。後述のように1986年以降、創立80周年行事、オール聖学院フェスティバル、聖学院大学開学記念音楽祭等々、同窓会に深くかかわる大きな催しがあり、いずれも同窓生の多大な協力により成功させたのであるが、こうした常には無い単発の催しには人も寄り、会費も集まる。しかし、最も肝要な会計年度の収入が不足する状態であった。
 1990(平成2)年10月31日発行の『同窓会だより』33号で永井会長は会計非常事態を訴えた。情けないことにこの号は単色刷りのわずか4ページのものであった。前会長の井上保氏は 「同窓会の財政危機にもの申す」との論旨を寄稿されている。内容は、同窓会の現状を心から憂い、危機を打開せよとの教示であった。このような経緯があり、永井会長は1991(平成3)年11月22日の日暮里のホテル・ラングウッドの総会において年会費の改正を諮り、承認を得て年会費は1,000円から3,000円となった。

11. 母校創立80周年とオール聖学院フェスティバル 〈1985年度定時総会〉

 1986(昭和61)年11月1日、母校は、講堂で創立80周年記念式典を挙行した。終了後11時30分から新館食堂で1985年度の定時総会を開催した。懇親会は行わずオール聖学院フェスティバルに力を注ぐこととした。
 1986(昭和61)年12月6日、午後5時から8時まで目白の椿山荘で、80周年を記念して「オール聖学院フェスティバル」が挙行された。これは同窓会の発案によるもので、幹事学年の47回生が中心になり、幼稚園から短大まで
 オール聖学院を網羅した結果、各校同窓会、PTA、後援会による枠を超えた賛同が集まり法人が主催となった。
 定刻、林田校長の開会宣言、小林校長の開会祈祷で始まり、短大聖歌隊のコーラス、つづいて「聖学院は今」と題する椿山荘自慢の壁面大画面に写されたスライドによる西田善夫氏(47回)と綾瀬丈子女史(女子聖卒)の両司会者の解説で、オール聖学院の力強い前進ぶりが浮き彫りにされた。引続き大木理事長、末包キリスト教教育同盟代表、瀬尾東京都中高協会副会長の挨拶の後、コールシオン(女子聖)のコーラスがあり、クレーラ学長の乾杯で第1部が終了した。 
 第2部は「聖学院のあのころ ―80年のあゆみ」として古い卒業生や懐かしい方々が登壇して挨拶された。最後は各校校歌斉唱、讃美歌「きよしこの夜」、「かみともにいまして」の斉唱の後、小倉校長の祈祷により閉会となったが、来賓を含む1,585名参加の大盛況であった。この成功は関係者一同の大変な努力と団結によるものであるが「オール聖学院」の底力を示し、以後の教育事業を盛り立てる一つの鉱脈となり、また、各校の枠と障壁を乗り越え、関係者の全法人的交流の大きなきっかけとなった。

12. 第2回オール聖学院フェスティバル 〈女子聖学院礼拝・講堂棟完成祝〉 〈1986年度定時総会〉

 1987(昭和62)年11月28日、女子聖学院創立80周年記念の女子聖学院礼拝・講堂棟完成を祝い、稲永修氏をはじめとする48回生と女子聖学院翠耀会の協力のもと、「第2回オール聖学院フェスティバル」が開催された。午前10時30分から新装の女子聖学院礼拝・講堂棟で「献堂式」が行われ、引続き12時30分から女子聖学院体育館において祝賀会が開催された。会場のスペースの都合もあり、女子聖学院関係者以外は、オール聖学院関係各団体の代表者のみの出席とせざるを得なかったが、600余命が出席され盛大に行われた。同窓会からは48回生の呼びかけ等の尽力により、翠耀会に1000万円強の礼拝・講堂棟完成記念祝金が贈られた。
 午後6時から場所を市ヶ谷私学会館に移し、1986年度定時総会を開催し、続いて48回生の当番幹事による懇親会となり、170名出席のもと様々なアトラクションもあり、関係者一同心を一つにして女子聖学院新礼拝・講堂棟の完成を祝った。

13. 聖学院大学開学記念音楽会(第3回オール聖学院フェスティバル)

 1988(昭和63)年11月24日、新宿・厚生年金会館大ホールにおいて、同窓会は聖学院大学の開学を記念し、
「聖学院大学開学記念音楽会」を主催した。第1回(47回生)の椿山荘でのパーティ、第2回(48回生)の私学会館における女子聖学院礼拝・講堂棟完成祝のパーティに続く第3回オール聖学院フェスティバルとして、49回生を中心に52回生までが幹事を担当した。聖学院本部をはじめオール聖学院の学生、生徒、教職員父兄の皆様の多大な援助を受け4,500円の入場券を2,000枚以上、960万円売り上げ、何とか収支とんとん赤字にならず終わった。企画にあたったGEN音楽企画の弦哲也さん(演歌の作曲者)はご子息が聖学院に在学中であり、シャープス&フラッツの原信夫さんは幹事の佐藤氏の伯父様ということでお二人の絶大な協力のもとにすばらしい音楽会が幕上げされた。出演者はパワフルなポップスの“しばたはつみ”、懐かしの夢のハーモニー“デューク・エイセス”、熱唱歌手の“内海美幸”、“千葉一夫”、司会を兼ねてお笑いの“Wエース”、弦先生の得意なギター演奏、何といってもいついつまでも華麗な演奏で魅惑する“原信夫とシャープス&フラッツ”の豪華なメンバーをそろえたこともあり、当日は1,500名近くの入場者があり大盛会であった。

14. 第六代会長 都築 宗政氏( 46回生) 〈1991年度定時総会〉 〈副会長を2名に削減〉

 1992(平成4)年11月27日、午後6時からホテルラングウッドにおいて開催された総会で、新会長に都築宗政氏が選出され、永井体制はその役割を新体制に譲ることになった。一気に24年も若返ることに同窓生の一部に懸念する声もあったが、この人事に賛同し、強く推し進めたのは、当時副会長であった稲永修氏(48回)、小川桂吉氏(48回)などの若手会員であった。 都築新会長は会則を変更し、多数の副会長を大島健一氏(47回)と稲永修氏のわずか2名とした。幹事長に田中良明氏(52回)、書記に清水広幸氏(72回)、会計に赤熊正之氏(72回)、会計監査に金原實氏(51回)と沢野茂氏(62回)が就任した。また、役員・理事・常任幹事に志を同じくする有為な人材を主に46回生~48回生を中心に登用し、脆弱な同窓会の財政面を立て直すための募金活動を推し進めることとした。引続き午後7時から同ホテルで当番幹事53回生・前田永喜氏の司会により懇親会が開催された。

15. 二つの大きな募金活動 〈年度会計投入資金と母校校舎建設資金〉

 1993(平成5)年3月、都築会長は「都築体制にご協力を!」という檄文を同窓生に発し、特別会費徴収の止むを得ない状況と必要性を訴える趣意書、および募金委員ならびに募金の方法を示し活発な募金活動を行った。
 募金は年度会計とは別に特別会費として徴収し、目標は3年間で5,000万円という大きな額であったが、同窓生の協力により大きな成果をあげ、1995年10月15日現在 3,700万円を優に超える金額となった。この中から1993年度500万円、1994年度150万円、 1995年度1,737万円、合計2,387万円を年度会計に組み入れた。
 これだけの資金が投入され、年度会計は潤沢となり、都築会長の公約は見事に果たされたのである。
 1995(平成7)年6月9日、ASF総会に都築会長以下役員が5名出席したが、そこで母校を一新する校舎新築の計画が発表された。これは翌1996(平成8)年の学校創立90周年記念事業として総額35億円で校舎・講堂を改築、1999(平成11)年完成予定とする一大プロジェクトであった。同窓会はこれを受け募金委員会を設置し、目標を5,000万円に決定して再び募金活動に入ることとなった。以下に達成された募金の概要を示す。
  (1)特別会費(年度会計投入資金他) 1993(平成5)年4月~1995(平成 7)年10月末 37,673,770円
  (2)ASF募金(本校舎建設資金) 1995(平成7)年6月~2000(平成12)年 8月末 84,723,201円
 この二つの募金の成功は同窓生の大きな支援と協力の賜物であり、さらにはその目標に向って活動した役員と幹事の力添えによるものである。特筆すべきはこの運動の当事者とはいえ都築会長・稲永副会長二人の多大な支援である。また、有志(58回生)からも多額の協力を戴いており、この3名の方の貢献によるところ大であった。

16. 同窓会事務職員の採用

 1993年5月18日、本校舎内に事務局を開設し、黒瀬道子さんが同窓会初の事務職員として勤務することになった。従来はOB教師が務める書記、会計の二人が本業の傍らで行っていたが、大きな催しや事業が次々と予定され、役員間の連絡、同窓生からの問い合わせ、各種資料の作成・整理が必要となり、開設することになったもので、月・火・金・土の午前9時から午後4時まで勤務することとなった。

17. 1992年度定時総会 〈特別会費(寄付)〉 〈同窓会功労者表彰〉 〈西田善夫氏(47回)講演会〉

 1993年11月19日、午後5時から上野・精養軒において70名出席のもと、小川桂吉氏(48回)の司会により開催された。定例議案のほか「特別会費」について大島健一副会長から趣旨説明、稲永修副会長から募金状況、薄田貞司理事(46回)から応募金の管理状況の報告があり、承認された。また、都築会長から母校ならびに同窓会に貢献された方への功労者表彰の提議があり、(1)海野次郎先生(旧職員・元校長)、(2)太田六郎先生(旧職員・元校長・23回)、(3)井上保氏(元同窓会長・16回)、(4)永井尚一氏(前同窓会長・22回)、(5)山田惠一先生(旧職員・前同窓会副会長)、(6)石渡常夫先生(旧職員・前同窓会幹事長)、(7)和田勇氏(池田野球部顧問教諭殉職後の野球部の指導・45回)、(8)横田恒雄氏(アメリカン・フットボール部の指導・51回)、(9)枚田啓三氏(アメリカン・フットボール部の指導・61回)、(10)熊上雄二氏(山岳部の指導・62) の10名の方に功労賞として賞状と記念品が授与された。閉会宣言後続いて西田善夫氏(47回)の講演会「監督の親心」に移った。講演内容は、1994年7月20日発行の同窓会だより増刊号(第37号)に掲載されている。
 懇親会は定刻6時30分から当番幹事54回生・小松静司氏の司会により立食パーティ形式で開催された。
 宮川欣也氏(54回)の開会挨拶、都築宗政会長挨拶、林田秀彦先生の学校長挨拶と続き、アトラクションでは女子聖学院の同窓生も約30名参加され、菅野真子先生指揮による「アヴェ・ヴェルム・コルプス」、松田孝一先生指揮による「ハレルヤ・コーラス」など素晴らしい混声コーラスを披露し、菅野真子先生のチェンバロ演奏とともに会場に花を添えてくれた。続いて松田孝一先生の指揮で讃美歌斉唱、女子聖学院と聖学院の校歌を一同で斉唱し、芳賀孝成氏(54回)の閉会挨拶でお開きとなった。

18. 関西支部と神奈川支部

 1994(平成6)年、同窓会にとって重要な二つの支部が誕生した。関西支部は、同年4月24日、ホテルニューオータニ大阪において同窓生6名、他に女子聖学院「翠耀会」のメンバーを含めて26名の出席者により、総会・懇親会を開催した。その後も毎年開催してきたが、出席者の高齢化、若手の参加者の期待がなく、2008(平成20)年7月2日のホテルニューオータニ大阪の出席者は10名となり、残念ながら2008年で区切りをつけることになった。
 神奈川支部は、1994(平成6)年10月15日、新横浜国際ホテルにおいて総会・懇親会を開催した。 当支部も「翠耀会」の協力を得ると同時に活発な支部活動を行い、近年はSEIG同窓会神奈川支部Xmas会を毎年開催し、100名を超える参加者により盛大に行われていた。しかし、第14回を数えた2007(平成19)年12月1日の横浜「崎陽軒」を最後に継続が困難となり、当面休会することとなった。

19. 1993年度定時総会 〈特別会費現状報告〉 〈役員全員留任〉

 1994年11月25日、午後5時から上野・精養軒において80名出席のもと、小川桂吉氏(48回)の司会により開催された。定例議案のほか、前年に開始された特別会費に関し、稲永修副会長から募金状況について現状報告がなされ、財務担当の薄田貞司理事(46回)から適正に運営・管理されている旨報告があり、承認された。また、役員任期2年満了の報告に対し、役員全員がそのまま留任し、新年度も都築宗政会長を中心に、歩みをすることを満場一致で可決した。
 引続き6時から当番幹事55回生のもと、111名の出席者により懇親会が開催された。

20. 1994年度定時総会 〈特別会費残金本会計へ〉 〈ASFへ500万円寄付〉 〈募金委員会設置〉

 1995年11月17日、午後6時から上野・精養軒において、小川桂吉理事(48)の司会により開始された。定例議案のほか、特別会費について稲永修副会長(48回)から募金状況報告があり、薄田貞司財務担当(46回)から収支報告がなされ、募金期間終了に伴う差引残高1,379万円(最終金額1,737万円)の本会計への組み入れを承認された。また、大島健一副会長(47回)からASF募金(本校舎建設資金)に関し、本校舎建設の説明があり、①同窓会本会計からASFに500万円を寄付する。②同窓会募金委員会を設置し、3年間の活動に入る提案があり可決された。
 引続き7時から「桜の間」において、当番幹事56回生・今井英夫氏の司会により懇親会が開催された。山田隆氏の開会挨拶、都築宗政会長挨拶、林田秀彦校長の来賓挨拶と続き、22回卆の大先輩窪田太郎氏の乾杯の音頭で宴会が始まった。アトラクションではルシア塩満ほか2名によるハープ演奏があり、引続き行われた山中昇と外幸二親幸会の太鼓演奏で会場は大いに盛り上がった。佐伯哲昭氏の当番幹事御礼、続いて讃美歌と校歌を斉唱し、薄田貞司理事(46回)の閉会挨拶でお開きとなった。

21. 故海野次郎先生・追悼会

 1996年10月12日、母校講堂において、学校法人聖学院と同窓会共催による追悼会が120名の参会者を集めて催された。海野先生は群馬県立高崎中学校から東京物理学校(現東京理科大学)に進学、1924(大正13)年3月卒業と同時に聖学院中学校教諭(数学)として着任。その後教頭、副校長に就任されたが、特に戦後、教育の混乱の中に行われた教育制度改革による新制中学校、新制高等学校設置に伴う諸準備から実施への手続きに手腕を発揮された。また、1954(昭和29)年、不慮の失火による講堂、校舎の消失に際し、その対応や復興事業に至るまで畑中校長を助けその処理におおいに尽力された。
 1958(昭和33)年4月、第六代校長に就任。予てからの課題であった理科館建設に着手し1963年11月3日完成、献堂式を行った。1969年末、眼疾のため45年余勤務された本校を退職。その後は療養に専念されていたが、1988(昭和63)年ASF副委員長、1991(平成3)年第二代委員長に就任、1989(平成元)年4月には、勲四等瑞宝章を叙勲された。1996(平成8)年6月7日昇天。享年93歳であった。
 追悼会にはご遺族の方々にもご出席いただき、大島健一副会長(47回)の司会により、阿部良和教諭(73回)による奏楽、讃美歌285番、聖書「ピリピ人への手紙2章12節~17節、林田秀彦校長の祈祷、大木英夫学校法人聖学院理事長・院長と都築宗政会長(46回)のご挨拶、そして小林哲夫ASF推進委員会総幹事(34回)の追悼の言葉、頌栄539番、ご遺族代表のご挨拶をいただき、参会者一同献花、先生のご冥福をお祈りした。

22. 1995年度定時総会 母校創立90周年の祝い

 1996年(平成8)年11月17日、午後1時から帝国ホテルにおいて、前田永喜理事(53回)の司会により定時総会が開催された。定例議案のほか、稲永修副会長(48回)からASF募金について、1996年10月31日現在の特別会費納入者254名の一覧表と総収入33,835,201円が報告された。
 午後2時から「孔雀の間」において同窓会主催の聖学院中学校・ 高等学校創立90周年祝賀会が盛大に開催された。企画・進行は約2年前から計画され、副会長の大島健一氏(47回生)を中心とする30名の「イベント実行委員会」が綿密な企画と協議を繰り返し、出席者は来賓90名、PTA・後援会187名、同窓生333名の計610名と盛大なものとなった。祝賀会は西田善夫氏(47回生)の司会により進められ、記念コンサートの第一部は60回生のオペラ(バリトン)歌手である折江忠道氏が “カルメン”他7曲を素晴らしい歌声で熱唱し、第二部はボニージャックスが“小さい秋みつけた”など9曲の詩情あふれるコーラスで聴衆を魅了した。なお、これに先立つ10月4日、母校主催の90周年祝賀会が東京プリンスホテルで開かれている。

23. 母校への什器・備品の寄贈

 新校舎の建設に伴い、同窓会は新しい校舎には新しい備品をとASF本校舎建設費予算外の机・椅子等の什器・備品の購入資金の調達に協力することとなった。資金源は記念祭バザーでのSEIGグッズ(テレフォンカード・SEIGスポーツタオル・SEIGジャンパー・ボールペン)販売・総会懇親会での福引・同窓生企業からの現物支給ならびに寄付金等を中心に計画された。
 その結果、1996年度は記念祭バザー、90周年祝賀会でのSEIGグッズ売上金等で1,189,850円、1997年度はSEIGグッズと総会懇親会の福引売上で348,020円、1998年度はテレフォンカード売上・翠耀会神奈川支部他寄付金等で240,232円、1999年度はSEIGグッズ売上金、29回生・46回生・59回生有志からの寄付金、さらに93回卒業生一同からの寄付金で687,216円、合計金額は2,465,318円が集まった。
 この中から2000年2月に物理室用ワイドカラーテレビ代(工事費込み)として424,200円を提供した。残金の2,041,118円は同窓会「94期」(2000年度)本会計に組み入れ、2001年8月に大島健一会長から峰田将校長に掃除機9台、テレビ3台、ビデオデッキ2台、その他総額200万円相当の備品について「寄贈同窓会」のラベルを貼付し寄贈した。

24. HOME COMING DAY

 1997(平成9)年5月17日、午後1時から荒木省三氏(46回)の発案による HOME COMING DAYが行われた。近々生まれ変る校舎が取り壊される前に、懐かしい本館の前で6年間(或は3年間)青春の時を過ごした思い出を振り返ろうと企画したものである。主催は母校となり、卒業後25~50年までの約3200名および常任幹事に案内を発送、当日は115名が参加し、本館の前で記念写真を撮る姿が目立った。
 午後1時45分からは新館(80周年記念棟)1階の食堂で記念パーティが開催され、惜別の思いの中に新しい校舎への期待を持ちながら母校を支えようという熱気溢れるものとなった。

25. 新校舎建設工事

 1997(平成9)年7月、創立90周年記念の一大イベントである校舎および講堂の建設工事が始まった。本館・講堂の解体が開始され、中学1年から高校Ⅰ年は旧台東区立坂本小学校へ移転し、同年9月から駒込と二校舎体制での教育活動となり、教職員ならびに生徒達は不自由な環境の中での勉学を余儀なくされた。  1998(平成10)年1月、校舎・講堂の敷地跡から遺跡が発見された。北区教育委員会による埋蔵文化財発掘調査が行われた結果、弥生時代から江戸時代までの長い期間にわたる人々の生活の跡が残されており、竪穴式住居跡・土器・高床式住居跡・水路の溝・江戸時代の瓦等が発掘された。同年4月、起工式が行われ校舎・講堂建設工事を着工したが、竣工予定は3ヶ月遅れて1999年11月末日に変更となった。

26. 1996年度定時総会

 1997(平成9)年11月21日、午後6時から芝メルパルク・会議室において70名出席のもと、当番幹事58回生・長谷川胖氏の司会により開催された。定例議案のほか、稲永修副会長(48回)からASF募金について、1997年9月30日現在の募金者名一覧と総収入59,985,201円が報告され、当初の目標金額を突破しているが出来るだけ多くの同窓生に参加していただくことに意義があるとして最大限の努力をするよう要請があった。また、田中良明幹事長(52回)から会則一部変更により、1997年3月卒業の新会員(90回生)から、入会金(5,000円)に変り終身会費(30,000円)の納入となったこと、新校舎什器備品費用積立のため、母校記念祭でバザーを実施し、聖学院グッズ販売を継続することが報告された。
 午後7時から「瑞雲の間」において、当番幹事58回生・須田昌久氏の司会のもと、有料会員130名、家族23名、招待42名の195名の参加者により懇親会が開催された。開始直前まで混声コーラスが流れ、会長都築宗政氏(46回)挨拶、林田秀彦校長の来賓挨拶、長老先輩の乾杯の音頭で宴会が始まった。アトラクションでは女子聖学院卒業のあべ美智子さん(ソプラノ)、竹下ユキさん(メゾソプラノ)、田中広美さん(アルト)によるコーラスグループ「ラ・モード」の演奏があり、58回生による福引抽選会、そして混声合唱団とともに“オール聖学院の歌”と校歌を合唱し、幹事代表の島野重人氏の閉会挨拶でお開きとなった。

27. 1997年度定時総会 〈副会長2名 → 若干名〉 〈新校舎落成祝賀会イベント実行委員会設置〉

 1998(平成10)年11月20日、午後6時からホテルベルクラシック東京において、当番幹事49回生・関根欣一氏の司会により開催された。定例議案のほかASF募金(本校舎建設資金)および新校舎備品購入資金状況について稲永修副会長から報告があり、会則一部変更ならびに役員一部変更の件は、副会長を2名から若干名に変更、小川桂吉理事が副会長に選出され、副会長は3名体制となった。また、新校舎落成祝賀会イベント実行委員会が設置され、都築宗政会長、大島健一(47回)・西田善夫(47回)・稲永修(48回)・小川桂吉(48回)・柴田年世(51回)・竹村良和(52回)・丁聖昌(54回)・須田昌久(58回)各氏が委嘱された。
 引続き午後7時から当番幹事59回生・土屋泰世氏の司会のもと、会員107名、同伴15名、来賓23名の計145名の参加により懇親会が開催された。都築宗政会長挨拶、林田秀彦校長の来賓挨拶、アトラクションでは、「甘利俊和(59回生)とハワイムーン」の演奏および菅野真子先生指揮による聖学院・女子聖学院卒業生による混声合唱、続いて新校舎備品購入資金の福引が行われ、讃美歌、校歌を斉唱し、閉会挨拶でお開きとなった。

28. 母校新校舎竣工と同窓会事務室  〈新事務員 辻田芳子さん〉

 1999(平成11)年11月、「光と水と風のシンフォニー」を基本コンセプトとした新校舎・講堂が完成した。中学棟と体育館を除いて全く新しい校舎に生まれ変わり、自然と調和を大切にした新校舎の教室・講堂はじめ、あらゆる設備において、木材を積極的に取り入れた温かみを感じさせる空間となり、素晴らしい教育環境が整備された。
 母校建設委員会は「新しい建物に相応しい命名を」と各棟や施設の名称を検討し、聖学院90年の歴史の中で欠かすことのできない創立者のH ・H ・ガイ博士と聖学院中学校初代校長・石川角次郎先生の名を残すことを決定した。両先生に敬意を表するとともに、聖学院精神の原点を常に忘れることのないように、との祈りと想いからで、学年単位の礼拝や集会に使用される5階の小ホールを「H ・H ・ガイホール」、新講堂の脇にそびえる塔を1954(昭和29)年に火災で焼失した「とんがり帽子の塔」の復元と聖学院のシンボルとして、またモニュメントとしての意味を持つ「石川ベルタワー」と命名し、新しい校舎は「本館」、講堂は「聖学院講堂」、改装前の新館は「中学棟」に名称が変更された。
 本館1階には同窓会事務室が設置され、隣室にはフェローシップルームができ、集会場所が用意された。なお、この年は事務員として長年勤務された黒瀬道子さんが退職し、9月から辻田芳子さんが勤めることとなった。

29. 石川ベルタワー三連の鐘

 「石川ベルタワー」には三連の鐘が取り付けられ、毎朝始業を知らせる「時の鐘」として駒込の街に響きわたっているが、タワー完成時には資金面から鐘の設置が危ぶまれていた。そんな時、石川角次郎先生の孫であり、卒業生でもある石川日出男氏(37回生)と同じく卒業生のY氏(匿名希望)からご寄付の申し出があった。しかし、製作費には不足であったため、同窓会から「陶板手形」による資金集めを提案し、平方邦行校務部長が企画・設計し、大木英夫理事長をはじめ同窓会、PTA、後援会、法人本部、教職員から170余名の参加申し込みがあり、同窓生お二人のご寄付と合計して1,300万円の浄財を得ることができ、2000年8月末に目出度く設置された。
 「陶板手形」は、「支える手」というモニュメント的な作品で、参加者の手の石膏取り、型への土込め、成型、焼成(1280℃)と作業が進められ、同年10月に新講堂下の中学棟への通路左右の壁に設置されている。

30. 第七代会長 大島健一氏( 47回生) 〈1998年度定時総会〉 〈母校校舎講堂落成祝賀会〉

 2000(平成12)年1月15日、午後4時から赤坂プリンスホテル別館「マーガレット」において、当番幹事50回生・関好延氏の司会により開催された。本来は、前年11月に行われるところであったが、母校校舎の落成が11月30日となり、祝賀会が翌年1月に決定されたため、同窓会もそれに合わせることとした。
 都築宗政会長の任期満了に伴う役員改選では、大島健一氏(47回)が会長選考委員会から推薦を受け、満場異議なく第七代会長に選出された。副会長は会長に一任され、後日、飯塚晴彦氏(47回)、宮澤昭平氏(52回)、前田永喜氏(53回)が就任した。田中良明幹事長、清水広幸書記(72回)、赤熊正之会計(72回)、ならびに会計監査の金原實氏(51回)と沢野茂氏(62回)は重任となった。都築宗政会長は名誉顧問、稲永修・小川桂吉両副会長は顧問にそれぞれ就任された。
 退任された都築宗政会長は、7年間で困窮していた同窓会に“資金”というカンフル剤を打ち、自ら先頭に立ち組織の拡大と活性化を図り、多くの事業を成し遂げられた。総会後に行われる懇親会も当番卒業回幹事制を導入したことにより、毎回多くの出席者があり、和やかで楽しい会が続いている。都築会長時代は、まさに飛躍のときであったといえる。
 午後6時から新館2階「クリスタルパレス」において学校法人聖学院主催の「校舎講堂落成式」が開催された。
 第一部(礼拝)は戸邉治朗中学部長の司会により、讃美歌斉唱、聖書朗読、祈祷、あいさつ、謝辞、讃美歌斉唱、最後に林田秀彦学校長の祝祷で閉会。引続き西田善夫氏(47回)の司会で第二部(祝宴)に移り、都築宗政同窓会長の乾杯の後、経過報告とビデオ上映、合唱団アルテの混声合唱があり、午後8時盛会裡に幕を閉じた。
 参会者は初代校長故石川角次郎先生のご遺族をはじめ大木英夫理事長以下聖学院関連者、設計・施工・設備関連会社、取引会社の方々も招待し、総勢800名を数えた。

31. 「93期」(1999年度)定時総会 〈同窓会年度呼称の改正〉 〈特定非営利法人(NPO)への支援〉

 2000年11月17日、午後5時からアイビーホール青学会館「シノノメ」において、当番幹事51回生・柴田年世氏の司会のもと、44名の出席者で開催された。定例議案のほか、大島会長から新校舎備品購入資金について報告があり、残高2,041,118円を同窓会一般会計に組み入れ、母校から依頼された備品購入等の資金とする提案があり、承認可決された。また、同窓会の年度呼称の改正と会則・慶弔見舞金に関する規定の変更ならびに特定非営利活動法人(NPO)への支援について原案どおり承認可決された。副会長の飯塚晴彦氏(47回)が体調を崩し役員を辞退したため、後任に堀田素弘氏(47回)が選出された。会計監査に今井清兼氏(53回)と草薙正之氏(58回)が新たに選出された。
 午後6時から「ホーリーチャペル」において、38名の出席者により礼拝を行った。司式磯貝創一氏(68回)、奏楽磯貝瑶子さん、讃美歌87番、聖書ペテロの第一の手紙1章24節~25節、司式者の祈祷のあと峰田将校長から「永遠不変の言葉」の礼拝メッセージをいただいた。
 引続き6時40分から「サフラン」において、当番幹事61回生のもと、懇親会が出席者90名で開催された。入口で箱から席札を引き、指定された席に着くと周りには先輩も後輩もいて、このテーブルが後のゲームのチームとなっている。呉彰夫氏(61回)と女性プロの司会により開始され、ショータイムではロックバンドがステージに上がり昭和60年代の懐かしいロックンロールが生演奏された。続いてゲームタイムとなり、司会者が出す3択のクイズをテーブル単位で初顔合わせのチームが力を合わせて挑戦した。会場は大いに盛り上がり、そして和やかな雰囲気となった。因みに優勝したのは、西田善夫氏(47)のチームでした。
  (1) 同窓会年度呼称の改正
   大島会長は同窓会の年度呼称を母校卒業期に合わせるよう改正した。よって当期から「93期」総会となり、以後はこのように呼称することに改正された。また、会則および慶弔見舞金に関する規定の一部変更を行ったが、両方とも96期に全面的見直しが行われているので、ここでは省略する。
  (2) 特定非営利法人(NPO)への支援
   2000年4月20日、オール聖学院を基盤とするNPO法人「コミュニティ活動支援センター」が47回生の富澤賢治氏(聖学院大学教授)を中心に設立され、峰田将校長が初代理事長、理事に大島健一会長ほか9名、監事に大木英夫法人聖学院理事長他1名が選出された。
 各学校に支部を置き、①学校と地域社会との提携を図ること。②地域社会を担いうる人材を育成することを主目的としている。母校の場合は、戸邉先生指導のNGO(タイ、ラオスでのコミュニティ活性化)の活動や相澤先生指導の自然体験学習に対する援助等学校と地域を結ぶ活動が対象となる。従って母校の果たす役割は大きく、また、同窓生の支援・協力が必要不可欠なことから、同窓会は団体会員として入会し支援することとした。

32. 同窓会新事業

 大島会長は前任の都築会長時代に築き上げられた財政基盤の上に、「新しい葡萄酒は新しい革袋に」のことばのとおり、同窓会の諸行事を充実し、同窓会の輪を縦横に大きく広げるとともに、将来の同窓会会員となる在校生との絆を深めることを目的に多くの新規事業を立ち上げた。
  (1) 新入会員歓迎式
   2001年2月20日、卒業式の予行演習会場で新入会員歓迎式を開催し、新入会員となる卒業生に大島会長が歓迎の挨拶を行い、入会記念の「同窓会オリジナルネクタイ」を贈呈した。また、各クラスから学年幹事となる4名を紹介し同窓会への積極的な参加を要請した。以後恒例事業として会長以下役員が出席して毎年実施している。
  (2) クロスカントリー大会優勝者の表彰
   2001年3月17日、高等学校および中学校それぞれの優勝者に大島会長から「同窓会杯」を授与した。母校は1973(昭和48)年度から学校行事として田園を駆け抜け体力、気力を養うことを目的として中学1年から高校Ⅱ年までが多摩湖畔を一周(8.4km)する全校クロスカントリー大会を実施している。第3学期の体育の授業は全て校内を1周するランニングロード(450m)を使用しての持久走中心に行われている。授業が進むごとに走行回数が増え、毎回タイムを計測し個人ごとに記録しており、長距離走が苦手の者も日に日にタイムを縮めていく。本年は2月21日に実施、中学生408名、高校正465名の873名が午前10時30分一斉にスタートした。2004年からは、会場を赤羽の荒川右岸土手8.3kmに変更して引続き毎年開催しており、成績優秀者は高校3学期終業式と中学卒業式・終業式において表彰される。同窓会は高校の優勝者と中学の優勝者2名を表彰することとし、毎年歴代の会長が「同窓会杯」を授与し表彰している。
  (3) 親睦ゴルフ会
   2001年4月12日、第1回親睦ゴルフ会が武蔵松山カントリークラブにおいて16名の参加により開催された。第3回からは幹事を輪番制として47回生が担当し、以後繰り下がりで開催してきたが、幹事の継続が困難な学年もあり、第11回(2011年)からは優勝者とBB賞者に次回幹事を依頼することとなった。しかし、第11回は、3月11日に東日本大震災が発生したため、その影響を考慮して中止とした。開催日は、原則として毎年4月第2木曜日とし、会場は、特別顧問都築宗政氏(46回)の取り計らいで第5回から栃木の桃里カントリー倶楽部で開催されている。
  (4) クラブ活動援助品
   2001年4月24日、校庭において野球部に対するクラブ活動援助品の贈呈式を行った。従来PTA・後援会と一緒になっていたクラブ活動援助金を同窓会独自のものとし、各クラブから要望を募り対象クラブを決め、必要なクラブへ必要なものを贈ることに変更したもので、第1回目は野球部にピッチングマシン、ボール2ダース、金属バット2本を贈呈した。以後も恒例事業として毎年各クラブから要望を募集し援助を行っているが、援助は運動部に限らず文化部へのパソコンや生徒会のミーティングルームのテーブルと椅子の寄贈等も実施している。104期(2010年)は、中・高の卓球部に卓球台、高校サッカー部に公式戦用ユニフォームを寄贈しており、累積援助額は460万円超となった。
  (5) 親睦旅行会
   2001年5月27日、第1回親睦旅行会が47回生の当番幹事で箱根の「ホテルおくゆもと」において開催され、46回から53回までの同窓生43名が参加した。翌日「小田原湯本カントリークラブ」でゴルフコンペが行われ16名が参加。第2回は48回生が当番幹事となり、以後、当番幹事は毎年繰り下がり開催され、事業年度が変更された第3回以降は毎年10月第3日曜日・月曜日が定例となった。本年(2011年)の第11回は、57回生が幹事として水上温泉「松乃井」で開催された。なお、翌日開催されていたゴルフ会は参加者の減少もあり、残念ながら第6回以降中断している。
  (6) スポーツ観戦
   2001年7月18日、ゴルフ会、旅行会とともに同窓生の親睦を図るためスポーツ観戦を行うこととなり、全国高等学校野球選手権大会・東東京大会の観戦と応援を実施した。当日は文教大付属高校に7対2と勝利し、7月22日に2回戦に臨んだが、残念ながら正則高校に1対8で敗戦となった。以後も恒例事業としてスポーツ観戦を毎年実施し、甲子園出場を期待しつつ同窓生および在校生の入場料を同窓会が負担することとした。
  (7) 映画鑑賞会
   2001年7月28日、同窓会主催の第1回映画鑑賞会「ホーム・スィートホーム」を母校講堂で開催した。この映画は三宅一男氏(53回)がプロデュースし、原作・脚本松山善三、監督は栗山富夫(三宅氏の大学時代の友人)、主なキャストは神山繁、小林稔侍、風吹ジュン、喜多嶋舞、酒井美紀、横山道乃。急速に進行する日本の高齢化社会にあって、「人々はどのように老いていったらよいのか」という問いかけを底に秘めながら、重いテーマをユーモラスに描いたホームドラマである。午前の部155名、午後の部183名の338名が観賞した。午後5時からは、ホテルベルクラシック東京で「三宅一男君(53回)を囲む会」を開催し、18名が出席した。
   2003年6月28日、第2回映画鑑賞会「ホーム・スィートホーム2『日傘の来た道』を母校講堂で開催した。前回同様プロデュースは三宅一男氏、栗山富夫監督、主なキャストは柴田恭平、石田えり、原日出子、財津一郎。今回のテーマも「家族が老いた時・・・その家族は」を問いかける家族愛を描いたホームドラマである。北区教育委員の西田善夫氏(47回)の紹介で北区教育委員会の後援をいただいた。当日は273名が鑑賞した。
   2006年6月17日、午後1時30分から定時総会の前に第3回映画鑑賞会「機関車先生」を母校講堂で開催した。今回も三宅一男氏プロデュース、監督は廣木隆一、主なキャストは坂口憲二、倍賞美津子、堺正章、大塚寧々、伊武雅刀。瀬戸内海に浮かぶ小島、全校生徒7人の小学校に臨時教師として春風の到来とともに現れた先生はなぜか一度も口を聞かない。「口をきかんせんせい・・・きかんしゃ先生」、とあだ名をつけられた口をきけない機関車先生と7人の子供達の交流が始まる。子ども達は様々な出来事の中で「話さなくても、伝えられるものがある」との思いの先生から勇気を学び少しずつ成長していく。当日は生徒77名、同窓生31名、一般客50名の158名が観賞した。なおチケットは320枚販売した。
  (8) 中学校英語レシテーションコンテスト(暗誦大会)の表彰
   2002年11月26日、第2回英語レシテーションコンテストが開催され、中学2学期終業式に堀田副会長が出席して成績最優秀賞者に「同窓会杯」を授与した。中学校では2001年度から、英語レシテーションコンテストが行われ、学年ごとに決められたテーマに基づきクラス予選、学年予選を勝ち抜いた各学年代表の生徒達が日ごろの練習の成果を発揮している。同窓会は、第2回から成績最優秀賞者を表彰することになり、以後恒例事業として毎年中学校第2学期終業式に同窓会役員が出席し実施している。

33. 「94期」定時総会 〈会則一部変更〉 〈役員改選〉

 2001年11月10日、午後5時から都ホテル東京「嵯峨西の間」において、当番幹事52回生・富永紀彦氏の司会により開催された。定例議案のほか母校への新校舎備品贈呈について堀田素弘副会長から報告があり、会則一部変更の件は、書記および会計の資格について「学校教職員のうちより」を削除した。役員改選の件は、大島健一会長および堀田素弘副会長は重任、宮澤昭平副会長は創立百周年記念祝賀会実行委員会委員長、前田永喜副会長は幹事長をそれぞれ委嘱され、田中幹事長が副会長に選出された。清水広幸書記は重任、会計は赤熊正之氏が退任して今井清兼会計監査に委嘱、会計監査は草薙正之氏が重任、新たに須田昌久氏(58回)が選出された。
  引続き午後6時30分から「嵯峨東の間」において当番幹事62回生・根岸敬三氏の司会のもと、会員110名、招待者25名の計135名の参加により懇親会が開催された。大島健一会長挨拶、峰田将校長の来賓挨拶に続き、アトラクションではダブルモアモアの東城しんの司会でゲームと抽選会が行われた。会食・歓談後一同で校歌を斉唱し、桃谷恵氏(62回)の閉会挨拶でお開きとなった。

34. 横浜国際総合競技場見学とJリーグ・サッカー観戦の会

 2002年4月7日、西田善夫・場長(47回・NHK定年退職後1998年新設の横浜国際総合競技場の初代場長に就任)のお世話で、日韓共同主催の2002FIFAワールドカップ(サッカーW杯)の決勝戦が行われることになっている同競技場をW杯の前に見学させていただいた。参加者は同窓生58名、招待者22名(母校中学・高校生)の80名。Jリーグの公式戦開催中の見学は行わないことになっているが、西田場長自ら先導され、競技場の建築方法・施設設備を詳しく丁寧に説明、通常は入れない試合前のエキジビションのマスゲームの行われているピッチまで案内していただいた。生徒諸君は貴重な経験に興奮していた。引続きJリーグの横浜マリノス対ガンバ大阪の試合を場長と一緒に観戦し場長の楽しく素晴らしいお話を聞きながらサッカーの醍醐味に浸った。

35. 「95期」定時総会 〈会則一部変更〉 〈次期役員選考委員会設置〉

 2002年11月16日、午後5時から母校ガイホールにおいて、当番幹事53回生・酒井宏祐氏の司会のもと、74名の出席者で開催された。定例議案のほか会則が一部変更され、次期役員選考委員会が設置された。
  午後6時30分から電通共済生協会館に場所を変え、3階「大ホール」において新入会員95回生9名を含め過去最高の170名出席のもと、当番幹事63回生・太田喜就氏の司会により懇親会が開催された。弦楽四重奏によるBGMの中、ウェルカムドリンクで迎えられ、関穣司氏(63回)の開会のことば、大島健一会長挨拶、峰田将校長の来賓挨拶に続き、鏡割りが行われ林田秀彦名誉校長の乾杯で宴会が開始された。暫し歓談後、アトラクションとして弦楽四重奏「Wind 4」の演奏が行われた。田中良明副会長(52回)から新入会員の紹介があり、つづいて63回生による抽選会が行われた。引続き前田永喜幹事長(53回)が次年度の幹事を紹介し、一同校歌を斉唱、福田伸樹氏(63回)の謝辞で閉会となったが、63回生31名のスタッフのチームワークにより会場は大いに盛り上がり、大変楽しく思い出に残る宴となった。
 (1) 会則一部変更
   ① 同窓会事業年度の変更
     従来定時総会は11月3日の母校記念祭に合わせ11月に行っていたため、事業年度を毎年9月1日から毎年8月31日としていた。しかし、諸行事開催に母校会期とのズレが発生することから、母校との整合が必要となり、毎年4月1日から翌年3月31日とした。翌96期は2002年9月1日から2003年3月31日までの7ヶ月間の変則期間とし、97期から毎年4月1日から翌年3月31日となった。
   ② 定時総会開催月の変更
     上記事業年度の変更に伴い定時総会開催月を11月から毎年6月に変更された。
   ③ 幹事長の選出方法の変更
     総会で会長から委嘱されていた幹事長を会長、副会長と同様に総会での選任に変更された。
 (2)次期役員選考委員会設置
    委員長に堀田素弘氏(47回)、委員に綿引喬也氏(48回)、武井宏祐氏(49回)、田中良明氏(52回)、前田永喜氏(53回)、田名網隆和氏(60回)、吉原愛三氏(61回)が委嘱された。

36.林田秀彦名誉校長・送別会

 2003年3月18日、赤坂プリンスホテル「季芳」において、林田秀彦名誉校長の送別会を出席者25名のもと、同窓会主催で開催した。林田名誉校長には1980(昭和55)年から20年にわたり母校第八代校長としてご尽力賜った。在任中はオンリーワン教育について常々次のように語られていた、『聖学院はオンリーワン志向です。それは絶対者なる神の前にかけがえのない唯一の人格としていのちの尊厳を認め、個々に与えられている賜物を見出し、周りの誰とも比べることのできない才能を発揮せしめる教育です。』このことばは2002年公表の「聖学院教育憲章」に聖学院全ての学校の教育理念「オンリーワン・フォー・アザーズ(他者のために生きる個人)」の文言として盛り込まれている。また、母校創立90周年記念の大事業としての校舎・講堂棟改築を成し遂げられたことをはじめ、多大な業績を残されている。校長在任中の入学式、卒業式、始業式、終業式、礼拝説教を通して聖書の言葉、神の福音を生徒、教職員、保護者に熱心にそして確信をもって説かれた。それらの原稿は1996年『満ち溢れる器』聖学院ゼネラルサービス発行、2000年には『ベルタワーの響き(副題―聖学院教育を育てる)』教文館発行の二冊にまとめられ出版されている。2000年3月末、学校長の定年(70歳)を迎え退職されたが、法人理事会から学校長20年にわたる林田先生の業績を讃え、名誉校長の称号を贈られた。2001年4月、ご自身の母校である学校法人鎮西学院理事長(非常勤)に就任されたが、2年後の2003年4月に常勤の理事長・院長に就任されることになり、3月末日をもって退職されることとなった。
  送別会は、前田永喜幹事長の司会のもと、堀田素弘副会長の開会のことばに始まり、大島健一会長の聖学院への23年間のご奉仕に対する心からの感謝のことば、そして稲永修顧問から記念品と花束を贈呈した。
  林田秀彦名誉校長からは新校舎建設をはじめとする大変多くの思い出話があり、都築宗政名誉顧問の乾杯により楽しいひと時を歓談し、校歌斉唱ののち田中良明副会長の閉会のことばでお開きとなった。

37. 第八代会長 前田永喜氏( 53回生) 〈「96期」定時総会〉 〈会則・慶弔見舞取扱規程の制定〉

 2003年6月14日、午後4時から母校ガイホールにおいて98名もの多くの出席者のもと、当番幹事54回生・丁聖昌氏の司会により開催された。定例議案のほか会則および慶弔見舞金に関する規定の変更、ならびに役員改選等が審議された。大島会長の任期満了に伴う役員改選では前田永喜氏(53回)が会長選考委員会から推薦を受け、第八代会長に選任された。前田氏は卒業と同時に同窓会役員として活躍、長年にわたり同窓会の推移を目の当たりにしている。特に大島体制では副会長・幹事長を歴任、大島イズムの理解者・牽引車(者)として事業遂行に尽力し、ここ数年の新事業の立案・実施に大きな力を発揮してきたことから満場一致で選任された。
  午後6時から滝野川会館に場所を変え、1階大ホール「もみじ」において当番幹事64回生・八巻孝氏の司会により懇親会が開催され、出席者は182名と過去最高であった前年を上回った。ウエルカムドリンクに迎えられ、早川正信氏(64回)の開会のことば、大島健一会長挨拶に続いて前田永喜新会長が紹介され、都築宗政特別顧問(46回)の乾杯で宴会が開始された。ビデオプロジェクターによるBGMが流れる中、田中良明前副会長(52回)から新入会員96回生の紹介があり、アトラクションとして64回生12名のスタッフによる抽選会、そして菅野真子先生の指揮による合唱団アルテの混声合唱が行われた。引続き吉原愛三新専務理事(61回)が次年度の幹事を紹介し、一同校歌を斉唱、細井誠氏(64回)の謝辞で閉演となったが、出席された多くのご来賓、恩師の方々とともに旧交を温めあった。 
 (1)会則変更
   会則は、ここ数年にわたり個々の規定を変更したことから整合性を欠いている部分もあるため、全面的に見直しが図られ改正された。主な変更は以下のとおり。
   ① 特別会費の新設
     終身会費納入者は年会費の納入が免除されるため、年会費納入者の終身会費移行に伴い一次的に会費徴収額は増加するが、先行きは減少が想定される。また、1990年以後新卒業新入会員は入会時に終身会費を納入するため、年会費の収納額は年々減少の状況となっていた。そこで特別会費を新設して終身会費納入者も3,000円以上の会費を納入可能とした。
   ② 役員の呼称変更
     役員の呼称のうち、幹事長は専務理事、書記は総務担当常務理事および庶務担当常務理事、会計は財務担当常務理事、会計監査は会計監事にそれぞれ変更された。
   ③ 役員の選任
     総会で会長から委嘱されていた常務理事、会計監事について総会での選任に変更された。
   ④ 役員の任期
     会長の任期限度を新たに設定し、原則として2期4年とした。
 (2)慶弔見舞金に関する規定
   慶弔見舞金に関する規定については、同窓会の現状に見合ったものに改正され慶弔見舞取扱規程として制定された。
 (3) 役員改選
 前田新会長は改正された会則に基づき、副会長に丁聖昌氏(54回)、専務理事に吉原愛三氏(61回)をそれぞれ抜擢した。以下常務理事の今井清兼氏(53回)、関穣司氏(63回)、清水広幸氏(72回)、会計監事の草薙正之氏(58回)、須田昌久氏(58回)は重任となったが、前大島体制から大幅な若返りが図られた。  
 幹事欠員学年については、29回から96回までのすべての人選を行い、本人の承諾を得て毎年補強して新体制を構築した。また、3年後の母校創立100周年に同窓会独自のイベントを開催するため、「母校創立100周年特別委員会」を設置し、委員長を西田善夫氏(47回)に、副委員長を丁聖昌副会長に委嘱した。
 退任された大島会長は事業年度の変更により結果的に3年半と比較的短期間ではあったが、多くの事業を立ち上げ同窓会を活性化された功績は非常に大きなものであった。退任後は、名誉会長に就任し、新体制の後ろ盾となった。
 堀田素弘副会長(47回)は同期の飯塚晴彦副会長が体調を崩されたため急遽後任として就任、大島会長の意向を理解し同窓会の活性化に大きく寄与された。退任後は顧問に就任されたが、引続き「同窓会だより」の編集委員を担務、また、母校発行の「聖学院中学校高等学校百年史」の同窓会編について41頁にわたり執筆されている。
 田中良明副会長(52回)は、1976年山下体制で会計を担務、井上・永井体制も会計、都築体制で幹事長、大島体制は引続き幹事長、副会長を歴任され長期にわたり貢献された。退任後は顧問に就任された。また、卒業生教師として同窓会の実務を一手に引き受け、パソコンを導入して会計ソフトを活用するほか同窓会事務の基礎づくりをされた。事務実務は現在も継承されており、同氏の貢献により同窓会が支えられてきた。

38. 母校奨学金制度の設立

 2003年6月、懸案であった奨学金制度について母校から提案があり、教職員、PTA、後援会、同窓会の賛同のもと「聖学院中学校・高等学校奨学金」が設立された。同窓会は奨学金基金協力金として当年度(97期)からPTA、後援会とともに50万円ずつ拠出することとした。その後東京都からの還付金等により、母校の基金が予定以上に貯蓄された100期以後は毎年25万円に減額されている。

39. 母校ホームカミングデーの開催

 2003年11月21日、「第1回ホームカミングデー」が母校主催・同窓会協賛で開催された。卒業生と在校生の絆を深め、また会員同士の親睦を深めてもらうため、卒業後25年目の71回生および50年目の46回生が招待され、多数の卒業生が来校された。これに先立ち午後4時から講堂においてクリスマス・アドベント点灯祭が幻想的な雰囲気の中で厳かに行われた。なお、同窓会は協賛としてパーティの費用を負担してきたが、第5回開催からはパーティを含めてすべて母校の主催となった。

40. 母校創立100周年特別委員会の発足

 2004年4月10日、母校本館2階会議室において母校創立100周年特別委員会の発足会が開催された。峰田校長にもご出席を賜り、西田委員長はじめ40名の委員が出席した。西田委員長から同窓会独自の記念事業について説明があり、「記念式典(祝賀会)・記念誌・講演会(音楽会)・施設(資料展)」の4委員会のリーダーとサブリーダーならびに45名のメンバーが任命された。

41. 真田幸男副校長・感謝の集い

 2004年4月10日、ホテルベルクラシック東京において、椎陵野球会主催・同窓会協賛で真田幸男副校長の奥様にもご出席いただき、椎陵野球会メンバーと同窓会理事・幹事が大勢集まり賑やかに開催した。真田幸男副校長は1959(昭和34)年から45年間母校に奉職され、その間、私学の受難時代には校務部長として他校に先駆け受験生確保のため都内および近県の小・中学校や学習塾回りをされる等非常な努力をされた。それが今日に繋がっているものと思われる。また、聖学院初の硬式野球部の顧問として多くの部員の指導にあたられた。退職後も「聖学院中学校高等学校百年史」の編纂に携わり、大変なご苦労のもと、2007年3月に発行された。
  感謝の集い当日は、加藤椎陵野球会副会長の司会により開会され、市川椎陵野球会会長の挨拶、同窓会から前田会長の感謝のことば、吉原専務理事から真田先生に記念品が贈呈された。真田先生からは永きにわたる教員生活ならびに野球部の多くの思い出話があった。引続き椎陵野球会の須田元会長から真田先生に記念品を贈呈し、田名網前会長からは奥様に感謝の花束をさし上げた。大島同窓会名誉会長の乾杯により懇親会となり、真田先生ご夫妻とのひと時を過ごし、校歌斉唱ののち加藤副会長の閉会のことばでお開きとなった。

42. 「97期」定時総会・懇親会 〈100周年特別委員会報告〉 〈100周年記念寄付金募集〉

 2004年6月19日、午後4時から母校ガイホールにおいて、当番幹事55回生・戸谷博氏の司会のもと、出席者90名で開催された。報告事項では、母校創立100周年特別委員会の活動指針について、西田善夫委員長から報告があり、続いて4委員会各リーダーから企画内容および活動状況について報告された。議案では、定例議案のほか「100周年記念寄付金募集」について会員の賛同を得て可決された。午後6時から前回同様滝野川会館に場所を変え、1階大ホール「もみじ」において、当番幹事65回生・三部茂康氏の司会のもと、152名の出席者で懇親会が開催された。ウエルカムドリンクに迎えられ、横川博之氏(65回)の開会のことば、前田永喜会長挨拶のあと、司会が来賓を紹介し峰田将校長と阿久戸光晴大学学長が来賓を代表して挨拶され、大島健一名誉会長の乾杯で宴会が開始された。BGMとして65回生横川博之バンドの演奏が流れる中、宮崎靖久教諭(68回)から新入会員97回生28名が紹介された。アトラクションでは65回生14名のスタッフによる抽選会、そして菅野真子先生指揮による合唱団アルテの混声合唱が行われた。また、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの実弟・横田拓也氏(80回)が出席され、高校時代の思い出話をしてくれた。当日、急遽募集した義援金は110,393円集まり、拉致被害者家族連絡会に渡された。続いて司会者が次年度の当番幹事を紹介し、一同校歌を斉唱、鈴木秀夫氏(65回)の謝辞で閉演となった。なお、横田拓也氏のお礼のことばは、2005年6月1日発行の同窓会だより第49号に掲載されている。

43. 100周年記念寄付金の募集

 募集期間は2004年10月~2007年3月(年度ごとに締め、累計を報告)、寄付金は一口5,000円(二口以上)、目標額は1,000万円、さらに大口寄付者を対象としたASF経由で1,000万円、合わせて2,000万円とした。
 前田会長は大口寄付の候補者を選び、峰田校長および西田委員長とともに訪問し実情を説明して協力を依頼した。募集活動は2年半行われ、特に大口寄付者の貢献、そして最終的には役員および特別委員会メンバーの再三の協力により、100周年寄付金982万円、ASF経由1,013万円合計1,995万円の寄付金を集め、ほぼ目標額を達成した。

44. 故太田六郎先生・追悼会

 2004年9月11日、母校ガイホールにおいて、母校と同窓会共催による追悼記念の会が多数の参会者を集めて催された。太田先生は1932(昭和7)年に母校を卒業(23回生)青山学院に進み、1936年同校卒業後直ちに母校に奉職、教諭として永らく英語を担当された。1969(昭和44)年12月、海野次郎校長が不慮の眼疾により定年を待たずに退職されたため、後任として第七代校長に就任された。母校出身者として初めての校長であった。
 校長就任当時は、戦後の第一次ベビーブームが終り生徒減少期を迎え、一方では公立学校志望者の全盛期でもあり、教育面でも、財政面でも最悪状況下に置かれていた母校聖学院を背負われて、その御心労はひととおりのものではなかったものと思われる。しかし、そのような中で生徒の活力を多面的、積極的に引き出すため、歩く会、アメリカホームスティ、クロスカントリー、高校新入生合宿、本州縦断徒歩リレー等次々と行事を推進された。
 一方、老朽化した体育館の改築を手掛けたほか、創立80周年記念事業として、美術・工作・音楽・普通教室や生徒食堂のある新館(現中学棟)建設計画のための準備委員会を発足させ、次の時代に備えた教育環境の整備にも全力を挙げて取り組まれた。
 1980(昭和55)年3月、定年退職後は水彩画、短歌、俳句を学びにカルチャーセンターに通い、母校聖学院関係では卒業生のクラス会、旧職員の集まりにはこまめに出席されていた。また春の開花に合わせて白木蓮、梅、桜、そして新緑、紅葉の季節には銀杏、拳、椎の木等の撮影に愛用のカメラを携えて来校するなど悠々自適の生活を過ごされていたが2004年2月21日、老衰のため自宅で94歳の生涯を閉じられた。
 追悼会にはご遺族の方々にもご出席いただき、丁聖昌同窓会副会長(54回)の司会により、宅間紀文音楽科教諭(61回)による奏楽、讃美歌285番、聖書「ピリピ人への手紙2章12節~16節、中川寛宗教主任の祈祷、大木英夫学校法人聖学院理事長・院長と峰田将学校長からご挨拶を賜り、続いて高校3年間を担任生徒として指導を受けた前田永喜同窓会長(53回)が追悼のことばとして先生の思い出を話された。頌栄539番、ご遺族代表のご挨拶をいただき、参会者一同献花、先生のご冥福をお祈りした。

45. 渡邊明新竜王(96回)を祝う会

 2005年2月19日、午後5時からホテルベルクラシック東京6階「ワルツ」において、同窓会主催により「渡邊明新竜王を祝う会」を開催した。ご本人(奥様はお子様が小さいので留守番)とご両親を迎え、大木英夫聖学院理事長院長をはじめ、阿久戸光晴聖学院大学学長、峰田将校長、小倉義明女子聖学院中・高校長、大野碧聖学院小学校校長ほか聖学院関係者23名、同窓生60名の86名が参加し、新竜王の誕生をお祝いした。
 渡邊新竜王は5歳で将棋をはじめ、1994年の小学生名人戦で史上最年少の4年生で優勝し、奨励会に入り2000年聖学院中学校3年のときに4段に昇段、当時史上4人目の中学生棋士として脚光を浴びた。2004年末に行われた将棋界最高の公式戦の一つである第17期竜王戦で第一人者の森内俊之竜王(名人・王将)を相手に堂々たる戦いで歴史に残る7番勝負を制し、名人戦と並ぶビッグタイトルを奪取した。しかも20歳8ヶ月でのタイトル獲得はこれまた史上3番目の若さでの快挙であり、聖学院関係者にとっても大きな喜びであった。
 祝う会は吉原愛三専務理事(61回)の司会により、前田永喜会長(53回)の挨拶、丁聖昌副会長(54回)が来賓を紹介、来賓を代表して大木英夫理事長と峰田将校長から祝辞を賜った。前田会長から花束と記念品を贈呈、新竜王からはうれしい、そして緊張気味のご挨拶、続いて恩師である真田幸男前副校長の乾杯で会が始まった。竜王戦主催者である読売新聞の老川祥一大阪本社副社長(53回)から読売新聞渡辺恒雄社長との竜王位設立時のエピソードの紹介があり、その他、同窓生のユーモアのあるスピーチが続き、楽しいひと時となった。田中良明顧問(52回)のリードで一同校歌斉唱、大島健一名誉会長の閉会のことばでお開きとなった。

46. 新入会幹事オリエンテーション

 2005年3月18日、新入会員歓迎式で幹事に推薦された5名に対し、母校でオリエンテーションを行い、前田会長から同窓会の歴史、歴代の会長、幹事の役割、年間事業計画等を説明し、幹事として同期生を代表して会務執行に参画するとともに同期生の組織化を図るよう要請した。以後も継承され毎年実施している。

47. 「98期」定時総会 〈同窓会名称変更〉 〈副会長2名増員〉 〈新事務員 松原晴美さん〉

 2005年6月18日、午後4時からホテルベルクラシック東京6階 「コンチェルト」 において、当番幹事56回生・今井英夫氏の司会のもと、出席者73名で開催された。報告事項では、100周年特別委員会西田善夫委員長から各委員会の活動報告ならびに11月26日開催のメサイア音楽会への参加よびかけがあった。議案では定例のほか同窓会名称変更および役員改選が審議され、原案どおり承認可決された。
 午後6時から同ホテル4階「シンフォニー」において、当番幹事66回生・遠藤和幸氏の司会のもと、出席者146名で懇親会が開催された。ウエルカムドリンクに迎えられ、山口正氏(66回)の開会の言葉、前田永喜会長の挨拶、讃美歌379番を一同で斉唱、司会が来賓を紹介し峰田将校長と女子聖学院翠耀会堀甲子会長が来賓を代表して挨拶され、大島健一名誉会長の乾杯で宴会が開始された。暫し歓談後菅野真子先生指揮による合唱団アルテの混声合唱、アトラクションの抽選会も恒例となり、数多くの商品が出て会場が多いに盛り上がった。続いて清水広幸教諭(72回)が新入会員98回生20名を紹介、吉原愛三専務理事が次年度幹事67回生を紹介し、一同校歌を斉唱、佐野琢彦氏(66回)の謝辞でおひらきとなったが、今回は全員着席で行われたため、ゆったりとくつろいだ気分で談笑ができ好評であった。
 なお、永年勤務された辻田芳子さんの後任として本年4月から松原晴美さんが勤務されている。
  (1) 同窓会名称の変更
   「聖学院高等学校同窓会」の名称を半世紀ぶりに改称して母校の名称に合わせ、「聖学院中学校・高等学校同窓会」への変更が提議され、出席者の賛同をえて変更された。同窓会会則の会員資格に「聖学院中学校・高等学校在籍者は同期生の正会員から推薦された者」とうたってあり、高等学校未卒業者に対しても同窓会に入会しやすくする意図もあった。
  (2) 役員改選
   母校創立100周年を翌年に控え役員会の補強を目的に副会長2名を増員した。増員の1名は、山田惠一先生のご子息であり、母校創立100周年特別委員会副委員長の山田隆氏(56回)。もう1名は現役PTA会長の三枝正和氏(61回)であり、これにより副会長は丁聖昌氏(54回)と3名体制と強化された。なお、その他の役員は前田永喜会長以下会計監事までの8名が全員重任となった。

48. 母校創立100周年記念音楽会「メサイア」の公演

 2005年11月26日、高橋謙氏(47回)をリーダーとする音楽会委員会11名による「メサイア音楽会」が母校創立100周年記念事業の先頭を切って母校100周年の前年にプレイベントとして母校講堂で開催された。 このG.F.ヘンデルの「メサイア」は音楽とともにキリストの予言、降誕、受難、復活にいたる聖書のことばを知り、理解することができる宗教曲であることから、ミッションスクールに通う在校生に母校の講堂で「メサイア」をぜひとも聴かせたいとの高橋リーダーの強い思いから選ばれた。
 合唱団は、在校生、男子聖・女子聖の卒業生、聖小の教員、各保護者、上尾キャンパスからも参加され、総勢60名、メサイア音楽の第一人者である長谷川朝雄氏(45回)の指揮指導のもと、1年間、延べ30回にわたり発声の一歩から猛練習を行い、見事なハーモニーを作り上げるまでに成長した。この間高橋リーダーは指揮者も含めた練習日の母校との調整、休憩時の飲み物の買い付け、会場の後片付け等合唱団をささえてきた。
 一方管弦楽団の呼びかけは相馬匡彦氏(73回)が尽力し、奥様もソプラノソリストとして出演、母校事務長の森野光生氏がソリストのバス、長谷川康弘氏(71回)がチェロを演奏した。また、記念音楽会ということでそれぞれネーミングすることになり、母校の英語教諭の磯貝創一氏(68回)が合唱団をThe Seigakuin Jubilee Choir (聖学院記念聖歌隊)、管弦楽団を「The Pasania Hill Baroque Academy (椎ヶ丘バロック合奏団)と命名した。さらに、メサイア音楽を在校生に理解してもらうための解説書を聖学院大学講師の渡邉善忠氏に依頼し、ポスターとプログラムのデザインを川向政博氏、印刷を関好延氏(50回)、そして長谷川胖氏(58回)が記録とCD ・DVDを担当するなど、まさに「オール聖学院のメサイア音楽会」となった。当日は講堂が満席となり、素晴らしい演奏とコーラスが多くの聴衆の感動を呼び、満場総立ちの聴衆からアンコールの声が止まず「ハレルヤ・コーラス」を再演してようやく幕が閉じられた。

49. 母校創立100周年記念誌の発刊

 2006年6月1日、山田隆氏(56回)リーダーの記念誌委員会から母校創立100周年記念誌が発刊された。委員会は29回生から92回生まで11名の時代を超えた委員であったが、それぞれが各方面のプロ達であった。
 毎月開催した編集会議のほか、リーダーとサブリーダーの打合せも頻繁に行われ、2年間にわたる熱の入った活動によって同窓会編纂の記念誌が完成された。原稿の集収から編集・校正・映像等々記念誌編纂に献身的に取り組んだ各委員の努力の賜物であるが、特に田中惣吉郎氏(29回)には当時の写真や資料の収集にご苦労をいただいた。本誌はA4版80ページであり、主な内容は以下のとおり。
  (1) 特別企画・二つの座談会
   第一部は、「聖学院の学園風土を語る」と題し、西田善夫氏(47回)NHK元アナウンサーの司会で美術・ジャーナリズム・スポーツ・音楽の各分野で活躍中の卒業生として、相笠昌義氏(50回)多摩美術大学教授、大塚信一氏(51回)岩波書店前社長、金子健太郎氏(73回)ボクシングジム会長、小松亮太氏(85回)音楽家・バンドネオン奏者の4名による座談会の様子。第二部は、「母校への熱き思い」と題し、宮崎靖久氏(68回)母校教諭の司会により、生徒会長を歴任された同窓生として、大村相哲氏(83回)、恩田昌史氏(89回)、一ノ瀬和太氏(93回)、柏崎孝夫氏(97回)の4名による座談会を掲載。
  (2) 特別寄稿
   聖学院の歴史を語る」として以下を掲載。「昭和初期の聖学院中学校」山田惠一氏(26回・2008年9月永眠)、「石川角次郎先生について」 田中惣吉郎氏(29回)、「ユニークなり わが校歌」渋谷襄氏(38回)、「思い出・雑感~オリンピックに出場した同窓生~」 田中良明氏(52回)。
  (3) 同窓会のあゆみ
   1926(大正15)年、同窓会の前身である椎陵会の設立~2006(平成18)年までの主な出来事について、同窓会の年表とともに時系列的に記載されている。
  (4) 寄稿文 ~母校100周年に思いを寄せて~
   寄稿された25回生から87回生まで40名の方たちの母校に対する思い思いが掲載されている。

50. 「99期」定時総会 〈役員選任〉 〈次期会長選考委員会の設置〉

 2006年6月17日、午後4時から母校ガイホールにおいて、当番幹事57回生・小島昭夫氏の司会のもと、66名の出席者により開催された。定例議案のほか、役員選任(補充)では遠藤和幸氏(66回)が常務理事に選任された。また、次期会長選考委員会が設置され、委員長に山田隆氏(56回)、委員に吉原愛三氏(61回)、市川隆雄氏(62回)、関穣司氏(63回)、田中治夫氏(64回)、三部茂康氏(65回)、遠藤和幸氏(66回)の6名が委嘱された。
 引き続き6時から懇親会が本館地下食堂において出席者108名のもと、当番幹事67回生・坂田恵一郎氏の司会により開催された。藤田勝美氏(67回)の開会の言葉、前田永喜会長の挨拶、司会が来賓を紹介し峰田将校長と女子聖学院翠耀会堀甲子会長が来賓を代表して挨拶された。乾杯のあと暫し歓談、菅野真子先生指揮による合唱団アルテの混声合唱、続いて清水広幸教諭(72回)が新入会員99回生9名を紹介、司会が次年度当番幹事68回生を紹介し、一同校歌斉唱、宮坂順一氏(67回)の謝辞で閉会となった。今回は11月18日に100周年祝賀会を控えているため、会場を地下食堂とし、2,000円会費で飲物はアルコール無しのソフトドリンクだけ、また、例年の抽選会も行われなかったが、ご来賓のスピーチと合唱団アルテの素晴らしい歌声で落ち着いた雰囲気となり、楽しいひとときとなった。

51. 都築宗政特別顧問(46回)「叙勲」祝賀会

 2006年6月19日、午後6時から學士会館において、都築宗政特別顧問(46回)の旭日双光賞受賞の祝賀会を同窓会主催で開催し、峰田将校長はじめ27名が出席した。都築興産株式会社代表取締役として業界への多大な貢献によるものであるが、地域社会においてもその活躍は目を見張るものがあった。同窓会においては前述のとおり第六代会長として自ら先頭に立ち、二つの大きな募金活動を達成するとともに、組織の拡大と活性化を図り、多くの事業を成し遂げられた。また、聖学院に対する思いはことのほか強く、現在も学校法人の理事のほかASFのトップとしても貢献されており、聖学院大学には「都築奨学金」が「稲永奨学金」とともに設けられている。
 祝賀会は吉原愛三専務理事(61回)の司会により始まり、清水広幸常務理事(72回)の祈祷、峰田将校長と前田永喜会長(53回)の祝辞とつづき、6月12日にASF推進委員長に就任された稲永修顧問(48回)から花束を贈呈し、大島健一名誉会長の乾杯で歓談となった。都築宗政特別顧問のご挨拶、出席者の楽しいスピーチもあり、一同校歌斉唱にののち三枝正和副会長(61回)の閉会のことばでお開きとなった。

52. 聖学院100年の歴史展と記念植樹ならびに記念モニュメントの設置

 村上正文氏(45回)をリーダーとする施設委員会の当初の目標は、資料展および記念植樹であった。資料展は、母校の100年の歴史を物語る古い品々を陳列する計画であったが、母校の手元に資料は殆どなく、委員全員で多方面に手を回し捜したが目ぼしい情報も集まらず、資料の展示は断念せざるを得なくなり、パネル形式の写真展示による100年の歴史展に変更することとした。まず歴史展の資料集めから始めることになったが、戦中・戦後の混乱期は、空襲、戦災、食糧難等の話題や共通体験は豊富ながら肝心の資料は焼失などで少なく、反面、平和時は資料が集まるものの、どの切り口も同じように見え、ニュース性に欠けるのが難点であった。難渋している時、母校100年史を編纂中であった真田幸男前副校長から歴代のアルバム、図書、その他多くの資料と山田惠一先生編纂の「聖学院80年史」の提供があり、その後永井尚一第5代会長(22回)をはじめ44回生まで多くの同窓生から資料・文献・情報が徐々に集まってきた。さらに、演劇、音楽、将棋の重鎮・新鋭、五輪の日本代表や高校を制した部活等が彩りを添えてくれることとなった。この間も委員会は毎月開催されていたが、特筆すべきは津久井正氏(55回)の企画から制作までの献身的な働きであり、歴史展開催の大きな原動力であった。
 一方記念植樹は、母校および生徒会の記念植樹と重複することが判明した。そこで村上リーダーは前田会長とも相談し、植樹場所を母校が1985年以来中学3年生の農業体験学習地として毎年ホームステイで世話をしていただき、“第2のふるさと”と親しまれている糸魚川市にある「聖学院の森」に変更し、隣接して母校100周年記念のモニュメントも設置することとした。モニュメントの製作は田名網隆和氏(60回)が担当し、ステンレス製で幅700mm、高さ1,800mm、十字架と鐘がとりつけられ、前面に母校校歌および母校と糸魚川市双方の発展を願う言葉が記されており、裏面には母校創立100周年特別委会全員の氏名が記載されている。また、親睦旅行会の行き先を「聖学院の森」として旅行出席者に植樹および記念モニュメントの除幕式への参加を依頼することとした。
  (1) 記念植樹と記念モニュメントの設置(除幕式)
   2006年10月15日、第6回親睦旅行会が開催され、35名が2台のバスに分乗し、糸魚川市「雨飾山荘」に宿泊した。翌16日開催の植樹と除幕式は晴天に恵まれ、同窓生のほか糸魚川市や母校生徒の植林活動を支援する御前山生産森林組合関係者ら総勢50名が出席、100周年を記念して「椎の樹」の植樹と序幕セレモニーを賑々しく行った。この模様は翌日の地元紙 「糸西タイムス」の一面に写真入りで紹介され、同窓会としても母校創立100周年を祝うにふさわしい記念の旅行会となった。
  (2) 聖学院100年の歴史展の開催
   2006年11月14日、母校講堂の1階ロビーにおいて峰田校長、前田会長および西田特別委員会委員長の、3名によるテープカットとともに「聖学院100年の歴史展」が開幕した。同窓生のほか学校説明会や付属小学   校音楽会など保護者の見学も多く、24日までの会期中は多くの方が訪れ、見学者は延べ624名となった。展示は石川角次郎先生の遺品(聖書、万年筆、メガネ)以外はすべてパネル形式、幅945mm、高さは2,270mm、小さいものでも728mm×1,030mmと大きなパネルで総数は当初の予想をはるかに超え50枚にも達した。特長的な物は、1906年~2006年をほぼ10年単位で区切った幅5mの年表「100年のあゆみ」、同じく幅5mの「歴代の校長先生」(肖像画)第一代石川角次郎校長~第八代林田秀彦校長、年代別の「歴代教職員の方々」、1914年~2000年の「校舎配置の変遷」、年代毎の入学・卒業記念、校舎や建物、体育大会、修学旅行等の10枚のパネルの「写真で見る聖学院の歴史」、「1964年東京オリンピック出場」山田宏臣氏(53回)、井原勝彦氏(54回)、「運動部の活躍」バドミントン部・米蹴部・野球部等々、圧巻なのは会場を4区分し、「本校卒業各界で活躍する著名人」歌舞伎俳優の坂東玉三郎氏、シンガーソングライターの小室等氏、バンドネオン奏者の小松亮太氏、将棋棋士の渡邊明氏のタペストリー形式での展示、その他多くのパネルが展示されたが、これらのパネルはすべて母校の資料室に保管されている。母校主催のホームカミングデーの会場には、母校の計らいで招待学年のアルバム等の資料とともに年表や歴代校長のパネルが毎年飾られている。

53. 母校創立100周年記念式典・祝賀会

 小林孝氏(47回)をリーダーとする記念式典委員会12名は、2004年9月から活動に入った。まず記念式典・祝賀会に関する同窓会のかかわり方、母校との役割分担から着手することとなった。母校の実行委員会と緊密な情報交換を行い、記念式典・祝賀会とも母校が主催、同窓会が協賛、会場は同窓会の意向を参考にすること、記念式典への同窓生出席者は25名、祝賀会へは250名(その後記念式典へは30名、祝賀会へは250~300名に増加)、祝賀会の内容はスクリーン使用による写真の映写を主体にしてタレントなどを招いたイベントは行わないこと、祝賀会に先立つ讃美歌のコーラスは宗教委員会に依頼(メサイア合唱団には依頼せず)、記念品は母校で用意する等の基本線を内定した。
 委員会は会場の選出に入り、帝国ホテル、プリンスホテル、およびホテルオークラの3ホテルを候補とし、2004年11月から具体的に内容を調査・検討の結果、ホテルオークラ東京を第一候補とした。2005年3月から4月にかけて母校がホテルオークラと交渉の結果、母校の予算に歩み寄ったオークラに会場を決定し予約した。祝賀会費用は一人12,000円となったため、同窓生の会費を10,000円とし、同窓会から一人当たり2,000円を補助することとして予算を計上(60万円)した。また、委員会は祝賀会会場における大型スクリーン使用による写真映写(72万円)ならびに会場隣接スペースでの写真展(70万円)を企画し予算計上していたが、その後の事情変更により両企画とも断念した。一方、ホテル担当者と打合せを行い、当日の円滑な受付体制、場内の整備、飲食物の出し方、救護班の配備などの担当者を配するようホテル側に要請するとともに、定時総会の担当幹事であった67回生にも受付・来客誘導等の支援を要請した。2006年に入ると祝賀会への出席者の動員が問題となった。母校の要請300名に対し申込者は200名程度であったため、同窓会役員・理事・幹事に対し同期生の動員を依頼するとともに、委員会の開催頻度を増やし委員一人ひとりにも同期生の動員を要請した。また、DMや電話、糸魚川の植樹旅行会への参加等々あらゆる機会、方策を尽くした結果、11月14日には何とか300名の目処がついた。
 2006年11月18日、午後4時から母校創立100周年記念式典がホテルオークラ東京のコンチネンタルルームで厳かに挙行され、引続き 午後5時から平安の間で祝賀会が開催された。記念式典には300名(うち同窓生31名)、祝賀会は1000名を超える関係者(うち同窓生338名)が集い、母校の生誕100年を成功裏に祝うことができた。心配された参加者受付も加藤昌三氏を中心とした67回生の綿密な計画のもと円滑に実施され、ホテル内の誘導、会場内誘導も申し分のない成果を収めることができた。開催会場の選出から始まり、ホテル側との折衝、参加者の動員、そして受付ならびに来客誘導等々、各委員全員が持ち場、持ち場でベストを尽くした大きな成果であった。祝賀会終了後は同窓生の有志とともに同ホテル内で盛大に慰労会を開催した。

54. 臨時同窓会だより「母校創立100周年記念特別号(第51号)」の発行

 2006年12月1日、同窓会と母校のそれぞれが開催した100周年記念事業を特集した同窓会だより特別号が発行された。前田会長、峰田校長、西田特別委員長の挨拶につづいて「メサイア音楽会」、「記念誌」、「歴史展と記念植樹」、「記念式典・祝賀会」の内容をそれぞれ紹介、次いで祝賀会のスナップが掲載され、同窓生をはじめ聖学院関連者たちの笑顔が紙面を埋め尽くしている。以下母校の100周年イヤー記念事業の「講堂のステンドグラス」、「記念礼拝・講演会」、「記念演奏会・記念植樹・記念誌発刊」とつづき、母校100年の歴史(年表)の掲載、さらに村上施設委員会リーダーと小林記念式典リーダーの挨拶、そして巻末には母校創立100周年特別委員会の一覧表が掲載されている。

55. 母校創立100周年特別委員会の解散会

 2006年12月16日、北とぴあ「瑞祥の間」において峰田校長をお招きし、前田会長、西田委員長以下44名が出席し、特別委員会の慰労会(解散会)と理事・幹事会の合同懇親会が盛大に開催された。
 特別委員会は2004年4月の発足以来全体の合同会議を半年ごとに6回開催、その間4つの委員会は各リーダーのもと活動を重ね、2005年11月26日に母校講堂で「メサイア音楽会」を開催、翌年6月1日には「100周年記念誌」の発刊、10月15日には聖学院の森で「椎の樹の植樹と記念モニュメントの除幕式」、11月14日には母校講堂ロビーでの「聖学院100年の歴史展」を開幕、つづいて11月18日ホテルオークラ東京での「記念式典・祝賀会」とそれぞれの企画を順次見事に成功させた。そしてその結果として“同窓会の力”を改めて内外にアッピールするところとなった。これらの成功は、委員会メンバーたちの2年半にわたる献身的な努力による賜物であるとともに、資料の提供、寄稿文の投稿、記念寄付への協力、さらに各イベントに積極的に参加した同窓生たちの“総合力”により勝ち得たものといえる。
 西田委員長は同窓会だより100周年記念特別号で“100周年はオールドパワーが張り切った。今度は次世代へのリレーだ。これも聖学院の伝統だ。”と言われている。次の周年事業には各委員会の若手メンバーが今回の貴重な経験を活かし、さらに大きな成果をもたらしてくれることと確信している。

56. 峰田 将前校長・感謝の集い

 2007年4月9日、グランドプリンスホテル赤坂「李芳」において、3月末日で退職された峰田将前校長の「感謝の集い」を奥様にもご出席いただき、同窓生32名出席のもと同窓会主催で開催した。峰田先生は地元滝野川の公立小学校から開成中高を経て東京教育大学教育学部に進学、1959(昭和34)年3月卒業。同年東京都庁入庁、総務局、民生局、教育庁等に勤務の後管理職として北区役所に出向。財政課長、企画部長を歴任後1987年北区助役に選任され、1999年3月、12年の任期を終えて退職された。
 峰田先生は17歳で洗礼を受けて以来滝野川神召教会で熱心な教会生活を送られ、北区在職中には本校の礼拝奨励者として奉仕されたこともあり、また国際ギデオン協会に加わり地域での活動を続けられるとともに、毎年開催される北区民クリスマスではメンバーの一人として域内各教会との交流を深めてこられた。
 2000(平成12)年4月、林田秀彦校長の定年退職に伴い第九代校長に就任された。同年10月「学校づくり委員会」を組織し聖学院教育の再構築として①キリスト教に基づく人間教育、②学習指導、③生活指導の充実を三本柱とし、その柱をつなぐのは梁(はり)であることを明らかにした改革を大胆に進められた。一方、2002年度開始の新学習指導要領について「情報科」の新設等最小限の手直しはしたが授業時数、内容削減の「ゆとり教育・週五日制」は採用せず従前の学力水準確保の教育課程を実施。また、2004年度から中学校各学年5クラス編成に着手、3年後の2006年度に全学年5クラスとなり中高一貫教育の体制が整えられることになった。
 2004に「創立百周年実行委員会」を組織し、2006年の百周年イヤーには6月にバッハ・コレギウム・ジャパンによる記念演奏会を中学・高校で開催、9月中旬には2003年度から卒業記念寄贈として制作が進められてきた講堂のステンドグラスが8面全て設置完了し、秋には「記念礼拝・講演会」を9月25日に高校、10月3日に中学で開催した。記念礼拝は中高ともに大木英夫理事長・院長による「聖学院未来に架ける橋」の説教、続いて記念講演では高校は2002年ノーベル物理学賞受賞者で東京大学特別栄誉教授である小柴昌俊先生が「やればできる」、中学は裏千家前家元で国連親善大使でもある鵬雲斎千玄室大宗匠が「キリストの教え―こころのあり方」と題し講演された。そして11月18日午後1時から「オリーブの木」が校庭に植樹され、午後4時からホテルオークラ東京「コンチネンタルルーム」において記念式典が行われ、引続き5時から「平安の間」において祝賀会が開催された。また、11月3日には「百周年写真集が発行され、真田幸男前副校長を中心に編纂中であった「聖学院中学校・高等学校百年史」も2007年3月15日に発行され、「創立百周年実行委員会」の行事は全て滞りなく実施された。
 感謝の集いは、吉原愛三専務理事(61回)の司会により山田隆副会長(56回)の開会のことばに始まり、前田永喜会長(53回)から聖学院への7年間にわたるご尽力ならびに同窓会へご協力にたいする感謝のことば、続いて都築宗政特別顧問から峰田先生に記念品を贈呈し、稲永修顧問から奥様に花束を贈呈した。引続き峰田先生から創立百周年事業をはじめ多くの思い出話があり、大島健一名誉会長(47回)の乾杯で宴会となった。暫し歓談後、西田善夫氏(47回)をはじめ出席者の楽しいスピーチで終始なごやかな雰囲気の中で進められ、一同で校歌斉唱、三枝正和副会長(61回)の閉会のことばでお開きとなった。

57. 「第九代会長 三枝正和氏( 61回生) 〈100期」定時総会〉 〈山口博新校長を祝う会〉 〈同窓会名簿発行〉

 2007年6月16日、午後4時から学士会館201号において、当番幹事58回生・長谷川胖氏の司会のもと、56名の出席者で開催された。定例議案のほか前田会長の任期満了に伴う役員改選では三枝正和氏(61回)が次期会長選考委員会から推薦を受け、第九代会長に選任された。副会長には吉原愛三氏(61回)、専務理事に遠藤和幸氏(66回)、常務理事に田中治夫氏(64回)が選任された。山田隆副会長(56回)、今井清兼(53回)・清水広幸(72回)両常務理事は重任、新会計監事には藤田登美雄氏(61回)と原敬氏(71回)が選任され、前・前田体制から若返りが図られた。報告事項では100周年記念事業の開催結果について西田善夫委員長および各リーダーから報告され、また、吉原愛三専務理事から「会員名簿第12号」発行について報告された。なお、退任された前田会長は名誉会長に就任し、丁副会長は健康上の理由もあり顧問に就任した。
 引続き6時から同会場において懇親会が111名出席のもと、当番幹事68回生・窪田秀幸氏と岩崎登氏の司会により開催された。ウエルカムドリンクに迎えられ、窪田秀幸氏(68回)の開会の言葉、讃美歌380番を一同で斉唱、前田永喜前会長と三枝正和新会長が挨拶された。当会は「新校長山口博先生(63回生)の就任を祝う会」も併せて開催、山口博新校長からご挨拶をいただき、前田永喜前会長から花束を贈呈した。続いて吉原愛三専務理事が来賓を紹介、学校法人聖学院大木英夫理事長と女子聖学院翠耀会堀甲子会長から来賓を代表して挨拶を賜り、100周年特別委員会西田善夫委員長(47回)の乾杯で宴会が開始された。暫し歓談、「新校長との思い出」として在学時の担任真田幸男前校長と同期生福澤和男氏のスピーチがあり、和やかな雰囲気の懇親会となった。引続き68回生スタッフによる抽選会が行われ、磯貝創一教諭(68回)が新入会員100回生11名を紹介、遠藤専務理事が次年度当番幹事69回生を紹介、一同校歌斉唱、岩崎登氏(68回)の謝辞で閉会した。
 なお、“山口博新校長の人となり”は2007年6月1日発行の同窓会だより52号に特別対談~山口新校長・前田同窓会長「母校におけるゆるぎない信頼関係を築く」と題し掲載されている。

58. 同窓会名簿の発行

 「会員名簿」第1号は、1936(昭和11)年3月に聖学院中学校から発行された。従来「椎陵」誌に掲載されていた名簿を母校の許可を得て、中井清氏(16回生)の尽力により独立刊行したものである。次いで1937年4月、「同窓会員名簿」と名称を変え第2号が校友会から発行された。第3号は1939年11月、聖学院中学校同窓会から発行された。いずれも発行者は富永正中学校長となっていて、校友会、同窓会ともに中学校長の管掌下にあった。第4号は不詳、第5号「同窓会員名簿」が1956年11月、創立50周年を記念して発行者石川清同窓会長名で聖学院高校同窓会から発行された。第6号は1961年11月、第7号は1966年11月に創立60周年、第8号が1977年5月に創立70周年、第9号が1986年11月に創立80周年、第10号が1996年6月に創立90周年と母校の創立10周年単位で発行されてきた。しかし、住居移転による住所不明者や物故者の方も増え、『同窓会だより』など返却されるものが非常に多くなってきた。そこで高精度のコンピュータによる随時修正管理を行う株式会社イーピーエス社(現社名・株式会社同窓会事務局)と契約し、2002年8月に第11号を発行、『同窓会だより』の返却数は半減した。以後5年単位で発行することとし、2007年6月に第12号を発行した。本年2012年は該当年であるが『個人情報保護』の問題が発生し、現在は中断せざるを得ない状況にある。なお、『同窓会だより』の返却数は半減したが、現在も残念ながら毎年200名程度の住所不明者が発生している。

59. 「聖学院さくらの会」への入会

 2007年12月15日、理事会・幹事会において、「聖学院の森」の桜を中心に樹木の植栽管理等を目的とした「聖学院さくらの会」の設立に伴い、同窓会としても母校、後援会、PTAとともに協力・援助は必至であると判断し、本年度から団体会員として入会(年会費50,000円)することを決議した。
 2005年10月、母校は糸魚川市において20年来毎年初夏に中学3年生が行ってきた農業体験学習の20周年記念事業として、同市および御前山森林組合の要請を受けて「聖学院の森」がある御前山の杉林伐採跡地1町歩(3,000坪)に植林を開始した。この記念事業に際し、苗木の確保はじめ肥料の確保など諸準備を49回生が担当し、稲刈りにきたPTAや後援会の方々の協力を得て植樹を実施した。この経費は、49回生の武井宏祐氏を中心とした有志が翌年に計画された母校のホームカミングの返礼を1年早めた寄付で賄った。2006年は、前年に傾斜地に植えた桜が豪雪で30%ほど折れる被害を受けたため、10月に桜の苗木を100本、比較的平坦な土地に植え、道路際に300株のアジサイも植え、植樹経費35万円は母校、PTA、後援会と有志寄付で確保した。
 2007年10月、植樹活動を進めるうちに資金確保に加え、地球環境の改善や農業に係る食文化のの見直しなど、様々なテーマにも取り組む組織づくりが必要となり、「聖学院さくらの会(武井宏祐会長)」を創設した。2007年は、前年同様聖学院の森に100本の桜の苗木を植樹し、費用は個人・団体会員の会費と寄付金ならびに49回生古希の会での特別収入で植樹費25万円を支出した。2008年は5月に桜の苗木50本を補植、合わせてドウダンツツジ50本を植え、10月には少し大きくなった桜を30本補植した。以後も桜の下草刈り、カモシカの食害対策の金網巻き、桜、ミズナラ、アジサイ、水仙などの補植等維持管理を毎年継続しており、その他聖学院大学構内への桜の植樹、聖学院小学校へのチューリップ球根提供(2007年から毎年100球)等積極的に活動している。2011年には「緑の支援 被災の地に緑と花を!」と題して東日本大震災の支援を計画・実行、また、「公益財団法人関東花の会」に聖学院さくらの会が団体会員として入会した。

60. 「101期」定時総会 〈役員選任〉 〈会費の自動払込制度〉

 2008年6月14日、午後4時30分からホテルメトロポリタン池袋2階「夕鶴」において、当番幹事59回生・土屋泰世氏の司会のもと、出席者48名で開催された。役員は非改選期であったが、関紀武理事(78回)が新たに常務理事に選任された。報告事項では「会費の自動払込制度」について提案があり、賛成多数で承認された。
 引続き6時から同ホテル3階「富士A」において懇親会が当番幹事69回生・長嶋豊司氏の司会のもと、119名の出席者で開催された。ウエルカムドリンクに迎えられ、開会とともに讃美歌354番を一同斉唱、三枝正和会長の挨拶、遠藤専務理事の来賓紹介、来賓を代表して学校法人聖学院小倉義明院長、山口博校長、女子聖学院翠耀会堀甲子会長からご挨拶を賜り、前田永喜名誉会長の乾杯で宴会となった。暫し歓談BGMが流れ、清水広幸教諭(72回)が新入会員101回生47名を紹介、菅野真子先生指揮による合唱団アルテの混声合唱、引続き恒例の大抽選会が行われた。続いて遠藤和幸専務理事が次年度当番幹事70回生を紹介し、一同校歌斉唱、長嶋豊司氏の謝辞で閉会となったが、今回は47名もの多くの新入会員(101回生)の出席により、会場は例年にない若さにあふれ大いに盛り上がった。

61. 会費の自動払込制度の利用

 2006年12月の理事会・幹事会・100周年特別委員会合同会議において、小林孝理事(47回)から年会費および特別会費の安定的な収納維持を目的に「自動引落し」の提案があり、ゆうちょ銀行および都市銀行その他の自動引落しについて調査した結果、「ゆうちょ銀行の自動払込制度」の利用料金が1件当たり25円と最も安く、かつ全国展開が可能であることが判明した。2007年5月および12月の理事会・幹事会で審議の結果、ゆうちょ銀行を利用することとなり、2008年6月の定時総会に提案し賛成多数で承認され、「102期」から利用することとなった。この制度はゆうちょ銀行が同窓会員の総合口座から「毎年6月末日」に自動的に会費を引落し、同窓会の口座に入金後、その入金内容を同窓期に通知するもので、従来の郵便振込用紙による会費収納も併用して実施するが、この制度に申し込むと翌年以降も毎年自動引落しとなり、送金の手数がなくなる利点がある。申込希望者は同窓会事務局に連絡すると「自動払込申込書」ほか必要書類が送付されてくる。

62. 同窓生による校内特別講演会 第1回 老川祥一氏(53回)

 2008年6月25日、母校は授業の一環として社会で活躍されている同窓生を講師に招き、母校講堂において4時限目中学生、5時限目高校生を対象に母校の思い出、人生経験、現役生徒へアドバイス等後輩に語ってもらう校内特別講演会を企画し、第1回目の講演会を開催(同窓生の聴講可)した。
 講師の老川祥一氏(53回)は、早稲田大学政治経済学部卒業後読売新聞社に入社、記者として盛岡支局、政治部、ワシントン支局で活動、その後大阪本社専務取締役、取締役副社長、代表取締役社長を歴任し、2007年にグループ本社取締役編集担当、東京本社代表取締役社長 編集主幹に就任された。
 講演は『聖学院に学んで半世紀』と題し、やんちゃで反抗期の中学時代、猛勉強した高校時代、中高一貫教育であったので挽回できたこと、新聞記者になったいきさつ、人の上に立つことの苦労等々、詳細は2008年7月19日発行の「学校だより」第250号に大野泰邦中学部長がテープを起こし掲載されている。

63. 人命救助表彰

 2008年12月13日、JR駒込駅構内でプラットホームから線路に転落した目の不自由な男性を目撃した母校高等学校Ⅱ年の渡辺祥夏さん、峰岸航平さん、尾張裕介さんの3人が直ちに駆けつけ間一髪その男性を救出し、駒込駅ならびに滝野川消防署から表彰された。当日は午後4時から理事会・幹事会合同会議が開催されており、冒頭の山口博校長の挨拶の中で紹介された。同窓会としても表彰すべきとの意見に出席者全員が賛同し、3人の勇気ある行動をたたえ、12月20日の高等学校終業式において三枝正和会長から表彰状と記念品を贈呈し、母校とともに表彰した。

64. 故山田惠一先生を偲ぶ会

 2009年2月28日、午後1時からホテルメトロポリタン池袋「曙」において、みくみや会(38回・39回)、四五会(45回)主催、同窓会後援により、来賓3名、会員43名が出席し、「故山田惠一先生を偲ぶ会」を開催した。
 山田先生は1935(昭和10)年に母校を卒業(26回生)日本大学に進み、1942(昭和17)年2月母校に奉職、教練を担当し、のちに国語、保健・体育も担当、1977(昭和52)年に中学部長に就任された。この間、陸上競技部の顧問を担当され、独自の運動理論により短距離、長距離、投てき競技等を指導し多くの選手を育てられた。
 1982年3月、44年にわたる教員生活の定年を迎えられたが、母校創立80周年を4年後に控え、林田秀彦校長から本格的な校史編纂を委嘱された。当時は資料室もなく、担当者不在の状況で出発時点から相当苦労されたようで、「聖学院八十年史」の編集後記に以下のように記されている。『卒業生として、また、四十余年の教員生活を送った母校聖学院の八十年史編集の大任を与えられたことに深い感謝をこめて編集作業を継続し、多数の方のご協力に支えられてここに上梓の運びとなった。三ヵ年近い永い孤独の途であった。八十年史編集は資料整理から着手した。以外に資料が乏しく ― 中略 ― 当初は乏しい資料を目前にし、さてどう着手しようかとまさに暗中模索で途方に暮れていた。そこで、「女子聖五十年史」編集者村田百可先生のご経験の苦心談を拝聴し示唆大なるものあり大きく指針を与えられた。』ここから山田先生の校内外にわたる資料探索の手が伸びることになり、同窓会だよりを通じて資料提供の協力を広く卒業生に要請したり、古き時代の卒業生を尋ね、往時の中学校生活全般の様子を伺う等々、その他難渋されながら必要かつ貴重な資料・写真等を収集された。また、同窓会だより第29号に投稿された「八十年史編集を終えて」の中で次のようにも述べられている。『80年史編集に当り、創立以来の貴重な古資料に埋もれ、丹念に頁をめくり往時に思いを馳せながら作業を進めた。そして、今日の成長の蔭に秘められたそれぞれの時代の先師、先輩、保護者父兄の方々の美しい愛校心と涙ぐましいばかりの尽力の賜物であったことに、ひしひしと伝わってくる感動を押さえることはできなかった。』 ―以下略
 1986(昭和61)年11月、「聖学院八十年史」が刊行された。グラビア30頁、本文635頁からなる大冊である。これにより、本校創立の母体であったアメリカのキリスト教会(ディサイプルス教団)の日本伝道から本校設立に到る経緯、創立者の教育理念、キリスト教教育の内容、学校規模や校舎の変遷、軍事教練、戦時中の勤労動員、戦後の教育改革、PTA、後援会、生徒会の誕生、学校行事の紹介等八十年間の刻まれた歴史が網羅され、後世に伝える立派な著作が完成された。
 1999(平成11)年脳梗塞を患い、東京リハビリテーション病院に入院、翌年退院されたが後遺症が残り、奥様の献身的介護のもと自宅で療養されていた。2005年に奥様が急逝されてからは不自由な体を自ら励まし、俳句づくりに専念され、2007年、90歳の誕生日を迎えた時、リハビリ俳句百句を自選、句集名を「夕楼」と命名し、ご自分の葬式の後、句集にしてお世話になった方々に届けるようにと原稿をご子息に託され、後日、ご子息から発行された。2008年9月4日の朝、体調を崩され入院中の病院で91歳の生涯を閉じられた。山田惠一先生を偲ぶ会当日は、田中良明前顧問(52回)の司会により、渋谷襄氏(38回)の開会のことばで始まり、一同で校歌斉唱、来賓の山口博学校長(63回)および三枝正和同窓会長(61回)のあいさつ、ご長男の山田隆氏(副会長・56回)のご遺族あいさつ、続いて主催者の土居通夫氏(38回)、大槻恒弘氏(39回)、村上正文氏(45回)と雨宮忠男氏(45回)を紹介、それぞれ挨拶をされ、袴沢明子さん〔故・袴沢省吾氏(38回)夫人〕の献杯のことばで懇談・会食となった。出席者は先生が担任をされた、38回・39回・45回・48回・63回・66回生を中心に集まり、多くの方から「山田惠一先生の思い出」が話され、雨宮忠男氏の閉会のことばでお開きとなった。

65. 渡邊明初代永世竜王(96回)を祝う会

 2009年3月14日、午後6時からホテルグランドパレス2階「チェリールーム」において、同窓会主催、学校法人聖学院後援による「渡邊明初代永世竜王を祝う会」が開催された。ご本人および師匠である所司和晴日本将棋連盟棋士七段を主賓に迎え、大木英夫理事長、小倉義明院長、阿久戸光晴大学学長、山口博校長、大野碧女子聖学院中高校長、村瀬聰子小学校校長をはじめ聖学院関係者19名、同窓生32名の53名が出席し、初代永世竜王獲得をたたえオール聖学院でお祝いをした。
 渡邊明竜王は、前年10月~12月に行われた将棋界最高の公式戦である第21期竜王戦で挑戦者の羽生善治名人を4勝3敗で破り、タイトルを防衛するとともに竜王戦5連覇を達成し、挑戦者の羽生善治名人の竜王通算7期獲得による永世竜王の資格獲得を制し、初代『永世竜王』の資格(引退時に称号がつく)を獲得した。とくに3連敗のあとの4連勝は全タイトル戦を通じて将棋界史上初の記録となる快挙であった。
 祝う会は遠藤専務理事(66回)の司会により、三枝正和会長(61回)の挨拶、山田隆副会長(56回)から来賓紹介、来賓を代表して大木英夫理事長、山口博校長、そして所司和晴師匠から祝辞を賜った。三枝会長から記念品と花束を贈呈、渡邊竜王から格段に上達されたご挨拶をいただき、小倉義明院長の乾杯で会が始まった。
 出席者のスピーチでは阿久戸学長はじめ将棋の好きな方が多く、専門的な話もあり、竜王戦を主催する読売新聞社の老川祥一東京本社社長(53回)からも興味深い話があり、また、恩師である田中良明顧問(52回)からは高校時代のエピソードなども紹介された。一同校歌斉唱、前田永喜名誉会長の閉会のことばでお開きとなった。
 会場のホテルグランドパレスは、久保木秋家パレスホテル常務・総支配人(54回)の紹介(パレホテル改造中)であり、同氏から乾杯用シャンパンおよび特別料理も提供していただいた。
 なお、渡邊竜王は2004年(17期)から2011年(24期)まで8連覇中であり、2011年には羽生善治王位・棋聖・王座から王座を奪取し、現在竜王・王座の2冠の保持者として活躍中である。

66. 「102期」定時総会 〈役員改選〉 〈財務基盤の強化〉 

 2009年6月27日、午後4時から羽田空港第1ターミナルビル6階「ギャラクシーホール」において、当番幹事の60回生・田名網隆和氏の司会により、出席者53名で開催された。定時総会開催日は、「95期」に6月に変更された以後は毎年第2または第3土曜日に行われてきたが、母校の行事・その他と重複するため、第4土曜日に変更した。議案の役員改選は、任期2年満了に伴う改選期ではあったが、三枝会長以下役員は全員重任となり、会計監事の藤田登美雄氏(61回)と原均氏(71回)が退任、新たに佐々木隆夫氏(54回)と長嶋豊司氏(69回)が選任された。また、三枝正和会長から前年12月13日の理事・幹事会で議決された財務基盤強化策の同窓会だよりへの企業広告の掲載、および母校記念祭での物品販売について報告され、承認された。
 引続き6時から同会場において、当番幹事70回生・井口和行氏の司会のもと、出席者98名で懇親会が開催された。夕暮れ時の飛行機の発着を窓の外に見ながら早稲田大学ジャズバンドによるBGMが流れ、ウエルカムドリンクで全員着席したところで菅野真子先生指揮による合唱団アルテの“メンデルスゾーンのひばり”の混声合唱で始まった。讃美歌234番Aを一同斉唱、三枝正和会長の挨拶、遠藤専務理事の来賓紹介、来賓を代表して学校法人聖学院小倉義明院長、山口博校長、女子聖学院翠耀会堀甲子会長からご挨拶を賜り、都築宗政特別顧問(46回)の乾杯で宴会が開始された。暫し歓談BGMが流れ、コンサートタイムではジャズが数曲演奏され、例年にない雰囲気の中での開催は大好評であった。続いて海老原栄教諭が新入会員102回生9名を紹介し、一同校歌斉唱、高橋謙氏(70回)の謝辞で閉会となった。

67. 財務基盤の強化 〈母校記念祭での物品販売〉 〈同窓会だよりへの企業広告の掲載〉 

 母校創立100周年記念特別委員会によるイベントは、同窓生はじめ聖学院関係各位の記念寄付金とASF経由の募金計約2000万円に支えられ、2005年11月のメサイア音楽会をトップバッターに各イベントは全て成功裏に行われ、同窓会の力を内外に示すこととなった。しかし、財務状況はその反動もあり、100周年記念寄付金が開始された「98期」(2004年度)から「101期」(2007年度)までの一般会費の収入は半減となり、また、200名前後の新入会員が「101期」161名、「102期」168名と大幅に減少し、とくに「101期」の財務状況は厳しく、一部期中の資金繰りがつかず、年度末の新入会員終身会費の収入まで支払いを繰り延べせざるを得ない状況であった。
 「102期」は、故山田惠一先生(26回)ご遺族、故中川邦宏氏(54回)ご遺族、老川祥一氏(53回)から多額の寄付を賜り、文明堂印刷(関好延社長・50回)から「同窓会だより」印刷代の特別値引き、加えて「会費の払込制度」の成果と新入会員の若干の増員により、収支は改善され財務状況は正常状態に近づいた。
 一方、公式情報ではないが、母校はとり残されている体育館の建直しの要望もあり、また、進路指導部からは机と椅子等の設置要請もある。同窓会としては本来の目的である「母校発展の助成」を図るため、財務基盤を強化し、「母校教育設備の充実」の一助として積立金を実施することとした。
  (1) 母校記念祭での物品販売
    母校記念祭において、同窓会の売り場スペースを設置し、同窓生から物品を提供(寄付)していただき販売する。売上金は原則として別会計とし、「母校教育設備備品充実費」に充当し積立金とする。「102期」からは、トーエル社提供の飲料水の予約販売を実施、売上金を毎年積立金としている。
  (2) 「同窓会だより」への企業広告の掲載
    同窓会だよりを現行の24ページから32ページに増やし、カラー広告2ページ、モノクロ広告6ページを掲載、カラー・モノクロ広告それぞれ2分割~4分割での掲載を含め、同窓生の企業広告掲載を募集(目標100万円)。掲載料は原則として上記同様別会計とし、「母校教育設備備品充実費」に充当、積立金とする。また、同窓生の活躍の紹介も目的とし、広告の中に代表者の氏名、卒業回を明記することとした。「103期」(第54号)は、8社掲載、以後掲載料を毎年積立金としている。

68. 「103期」定時総会 〈会則一部変更〉 〈同窓会ホームページ開設〉 〈「聖学院メサイア合唱団」の後援〉

 2010年6月12日、午後4時30分から板橋区立文化会館において、当番幹事61回生・呉彰夫氏の司会のもと、出席者36名で開催された。第4週土曜日は、聖学院小学校創立50周年記念式典のため、6月第2週の開催とした。議案の会則一部変更では①新卒業新入会員が入会時に納入する「終身会費」を「10年分の会費30,000円」に。②役員の任期のうち、会長の任期限度を「2年4期」から「3年6期」にそれぞれ変更された。報告事項では三枝会長から①同窓会独自のホームページの開設を目的に「同窓会ネットワーク委員会」を設置すること。②「聖学院メサイア合唱団」の後援について報告され、それぞれ賛成多数で承認された。
 引続き6時から板橋区グリーンホールにおいて、当番幹事71回生・出蔵修一氏の司会のもと、出席者100名で懇親会が開催された。司会出蔵修一氏の開会の言葉に続き、一同で讃美歌66番を斉唱、続いて菅野真子先生指揮による合唱団アルテの混声合唱で“サンライズサンセット”および“合唱賛歌”が演奏された。三枝正和会長の挨拶、遠藤専務理事の来賓紹介、来賓を代表して学校法人聖学院小倉義明院長、山口博校長、女子聖学院翠耀会堀甲子会長からご挨拶を賜り、村上正文理事(45回)の乾杯で宴会が開始された。暫し歓談BGMが流れ、ショータイムでは歌謡コーラスグループ「大前あつみ&サザンクロス」のステージが行われ、前回とは一味違った雰囲気の中での開催であった。続いて清水広幸教諭(72回)が新入会員103回生24名を紹介し、また次年度当番幹事として自己紹介をした。一同校歌斉唱、出蔵修一氏の謝辞で閉会となった。また、当日はアメリカンフットボール部OBが急遽受付・案内係を担務してくれた。

69. 「聖学院メサイア合唱団」を後援

 2009年12月12日の理事・幹事会において、「聖学院メサイア合唱団」の後援について提議され、同合唱団が同窓生中心の活動であり、今後も公演を継続すること、後援について正式に合唱団の要請があることから、審議の結果、賛成多数で可決され、2010年6月12日の「103期」定時総会に諮り、原案どおり承認された。当合唱団は、同窓会が母校創立100周年のイベントとして現役生徒に“メサイア”を聴かせることを目的に企画し、2005年11月に母校講堂で開催した「メサイア音楽会」の合唱団が前身であり、合唱団解散後も団員をはじめ各方面からの合唱団継続の要望が強く、「聖学院メサイア合唱団」として結成されたものである。 
 指揮・指導は引続き長谷川朝雄氏(45回)のもと、毎月2回の練習を積み、2007年4月に2回目の公演として「聖学院メサイア2007」を母校で行い、その後も毎年公演を重ね2009年4月には通算4回目の公演を開催した。しかし、自主活動であるため開催費用の約半分を団員が入場券を販売し、残りはプログラムの広告掲載料等で賄っているが、資金面では厳しい状況である。母校が後援となっているが内容は練習を含めた会場の提供等であり、資金面の支援はされていない。同窓会は第2回目以降の公演についても開催当日の受付、来賓案内、入場券購入等の支援を行ってきたが、正式に後援者となり、従来に加え資金面の援助、公演会開催のPR、入場券販売の応援、終了後の会場の後片付け等支援することとした。2012年は、4月30日に第7回目の公演「聖学院メサイア2012」を予定している。

70. 「104期」定時総会 〈役員改選〉 〈同窓会ホームページ(イベント広場)の開設〉

 2011年6月26日、午後4時30分からホテルオークラ東京「メイプルルームⅡ」において、当番幹事62回生・根岸敬三氏の司会のもと、出席者55名で開催された。議案の役員改選は、任期2年満了に伴う改選期ではあったが、会長の任期限度が昨年「3期6年」に延期されたこともあり、三枝正和会長から山田隆副会長を除く役員全員の重任と金子健太郎理事(73回)の常務理事への推薦提案がなされ、原案のとおり選任された。山田隆副会長(56回)には6年間にわたりご尽力いただいたが、今期をもって退任となり、顧問に就任された。また、報告事項では、三枝正和会長から同窓会ホームページ(イベント広場)開設について説明があり、承認された。
 引続き6時から「メイプルルームⅠ」において、当番幹事72回生・清水広幸氏の司会により、出席者172名で懇親会が開催された。当初は100名程度の出席者を想定し全員着席で設定していたが、日ごとに参加者が増え、当日は新入会員(104回生)40名を含め172名と大幅に増員となったため、来賓と48回生までの年長者テーブルを残し、小テーブルを囲む立席として対応することとなった。司会の清水広幸氏の開会の言葉に続き、一同で讃美歌66番を斉唱、遠藤専務理事の来賓紹介、来賓を代表して学校法人聖学院阿久戸光晴新理事長および山口博校長にご挨拶を賜り、学校法人聖学院小倉義明院長の乾杯で宴会が開始された。暫し歓談、恒例の菅野真子先生指揮による合唱団アルテの混声合唱のあと、『映像で観る聖学院の歴史』と題して大型スクリーンにスライドを写し、司会の清水広幸氏が説明に入ると西田善夫氏(47回)が飛び入り参加、司会者と即興の解説が始まった。懐かしい写真とともに解説が好評で時間を超過、次のアトラクションの『知り合いになろう』は中止となった。続いて権藤史教諭が新入会員40名を紹介し、次年度当番幹事金子健太郎氏(73回)が自己紹介した。鈴川慶二郎氏(103回・音大生)のリードで一同校歌斉唱、小野瀬玲氏(72回)の閉会の言葉でお開きとなった。

71.

to be continued...